Vol.137 名古屋都市センター歴史まちづくりシリーズ⑤「商業による賑わいの歴史」  -百貨店、アーケード商店街、地下街-

名古屋都市センターによる2023年度歴史まちづくり連続講座「賑わいの歴史_商業」が開催された。講師は名古屋市役所OBで都市計画史に詳しい杉山正大さん。名古屋市における賑わいの歴史を商業集積の変遷から紐解く回に参加した。名古屋の賑わいの中心と言えば栄地区の百貨店だが、名駅地区や各地の商店街、地下街も賑わい空間。今後の名古屋の賑わいを担う要素も想定しておきたい。

1.百貨店が牽引した名古屋の商業集積  -伊藤呉服店の百貨店進出がトリガーに-

百貨店という業態が出現する以前(明治時代)に「勧工場(かんこうば、かんこば)」という施設が日本に登場した。一つの建物の中に多くの小売業者が商品を陳列して販売した施設で、工業振興のための商品展示場から派生して作られたものだ。日本におけるショッピングセンターのルーツと言って良い。東京や大阪に開設されたのちに名古屋にも出現し、広小路、本町通、大須など11か所に存在した。中でも栄に立地した「中央バザール」や広小路本町に立地した「盛商館」という名の勧工場は名古屋の代表的な賑わいを生んだという。

この勧工場が、その後に相次いだ百貨店の登場を誘発したと言って良いのかもしれない(百貨店の登場で勧工場は衰退した)。1910年(明治43年)に伊藤呉服店が広小路栄(現、スカイルビルの位置)に松坂屋を開設したのが引き金となり、1915年(大正4年)に十一屋呉服店が十一屋百貨店(現、栄町ビルの位置)を開設し、その向かえには京都から三星百貨店が進出した。そして、1954年(昭和29年)には中村呉服店がオリエンタル中村(現、名古屋三越の位置)を開設し、同年に名鉄百貨店が開設された。名鉄は、1967年(昭和42年)にメルサ(現、メンズ館)を、1972年(昭和47年)に名鉄セブン館(現、LABI名古屋)を開設して名駅地区における商業集積をけん引した。

栄の百貨店群も変遷と増強が続いた。松坂屋は1925年(大正14年)に南大津に松坂屋本館(現在の位置)を新設し、これに伴い広小路栄の店舗は栄屋百貨店として営業し、その後は松坂屋栄町店と変遷した。十一屋百貨店は1943年(昭和18年)に三星百貨店と合併して丸栄百貨店となり、オリエンタル中村は1974年(昭和49年)に星丘店も開設したが、1980年(昭和55年)に栄と星丘の店舗は名古屋三越となり現在まで営業が続いている。尚、名古屋三越の土地・建物は現在もオリエンタルビル所有である。

2000年(平成12年)になるとJR名古屋タカシマヤがオープンし、名古屋の百貨店は4M1T時代となり、これらの百貨店が長らく名古屋の商業空間の中核を形成した。しかし、丸栄は2018年(平成30年)に閉鎖となった。丸栄から72年、十一屋呉服店から403年の歴史に幕を下ろし、現在はマルエイガレリアとなっている。また、名鉄百貨店もリニア開業を念頭に大規模な再開発を検討しており、名古屋三越が入居するオリエンタルビルも建て替えを構想するなど、名古屋の商業をけん引してきた百貨店群は、転換期を迎えようとしている。

百貨店の発展は、地区の賑わいに強い影響を及ぼした。物販に伴う消費だけでなく、人々に時間消費を誘発するからだ。3Mの百貨店が集積した栄地区は名古屋の代表的な商業空間として認知されていたが、名鉄百貨店の機能強化とJR名古屋タカシマヤの出現などによって、名駅地区に客足を取られていると評されることも度々で、栄地区と名駅地区は名古屋における賑わい空間のライバル関係として語られることが多い。この二つの名古屋を代表する商業地区は、ビル開発の新陳代謝とともに小売販売額を競い合う歴史を繰り返してきている。現在はJR名古屋タカシマヤが業績好調でゲートタワーの開業とも相まって名駅地区優勢の状況だが、今後は栄地区に大型ビルの開業が控えており、相乗効果を発揮しながら今後も名古屋の賑わい中心を両地区が担っていくだろう。

2.アーケード商店街   -個性的商業空間として生き残ることの難しさ-

大型資本による百貨店とは対称的な商業空間として商店街がある。中でも昭和時代にはアーケード商店街が賑わいを生んだ時代があった。名古屋では円頓寺商店街、大須商店街、大曽根商店街、が三大アーケード商店街と呼ばれ、個性的な賑わい空間を形成した。

円頓寺商店街は、明治期に路面電車が敷設され、志摩町電停が整備されたことで人々の往来が生まれ、大正時代に商店街へと発展していった。1964年(昭和39年)にアーケードを設置し、1988年(平成元年)、2009年(平成21年)と改修を重ねて今日に至っている。賑わいに栄枯盛衰はあったものの、今では若者たちも足を運ぶ商店街へと変貌を遂げてきている。名古屋城の築城と密接にかかわりのあった四間道地区と空間が連続していることが文化性を併せ持つ地区となって強みとなっている。

大須商店街は、歴史的には名古屋城下の南寺町であり、戦前には多くの寺社が軒を連ねた。戦災で自社の数は減ったものの、大須観音、万松寺、若宮八幡宮など、江戸時代から続く自社が今も数多く大須地区のアイコンとなっている。戦前・戦後は映画館や大須演芸場などが立ち並ぶエンターテイメント地区でもあって往来が栄えたが、映画館からは客足が遠のきアメ横ビルと形を変えた。また、1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)にかけて万松寺通、仁王門通、東仁王門通などにアーケードが設置され、アーケード商店街が形成された。現在では、異文化が共生する個性的な商店街として観光客が足を運ぶ街となっている。

一方、時代の変遷とともに衰退した商店街は全国区に数多い。アーケード商店街の中では大曽根商店街がその一例だろう。1900年(明治33年)に国鉄中央線が敷設され、1906年(明治39年)に瀬戸電が開業したほか、国道19号線が走るなど交通の要衝ではあったものの、これらの交通網によって地域は住み難さと交通渋滞問題を抱えていた。道路の拡幅整備や交差点改良が施された結果、商店街は大曽根商店街と大曽根本通商店街に分断されて、人通りの一体感が途切れることとなった。1963年(昭和38年)にオズモール、1964年(昭和39年)にオゾンアベニューとしてアーケードを設置したが、オズモールは1988年(昭和63年)に、オゾンアベニューは1998年(平成10年)にアーケードを撤去し、今日では商店街としての賑わいは消えている。商店街が時代を超えて栄え続けることの難しさを物語っている。商業店舗の形態が百貨店、スーパーなど新しい形態へと変遷したことにより、人々の買い物行動が変化したことも大きな要因であった。

3.名古屋と言えば「地下街」   -交通インフラ整備とともに誕生した地下街-

人によっては名古屋の代名詞にも挙げられる地下街は、昭和30年代に初めて登場した。地下鉄整備に伴って、その上部空間を活用して整備されたもので、名駅地区ではサンロード、メイチカ、ミヤコ地下街がこれにあたり、栄地区では森の地下街(旧、栄地下街)がこれにあたる。昭和30年代の地下街は空間が狭く、通路も複雑なので、精通した人しか行きたい場所に辿り着けず、迷路のようでもあり、楽しさ半分迷子気分半分の空間ではあるが、名古屋の賑わい空間の一端を担っていることは間違いない。

その後、モータリゼーションの進展が自動車交通量の増加を招くと、都心に駐車場を整備する必要性が高まり、地下駐車場整備と一体的に生まれたのが昭和40年代の地下街だ。名駅地区ではユニモールとエスカ、栄地区ではサカエチカがこれにあたり、いずれも地下駐車場とともに利用できる。

その後、1972年(昭和47年)に大阪市南区の千日デパートで大規模なビル火災が起こり、100人を越す死者を出す大惨事となった。これを機に防火設備の強化が義務付けられるとともに、地下街は簡単には建設できない時代となった。名古屋では昭和50年代に名駅地区でテルミナ(現、ゲートウォーク)、栄地区でセントラルパーク地下街が整備されたのが最後となった。

4.今後の名古屋に求めたい賑わい空間   -アーバンリゾート空間の形成を-

名古屋の商業施設による賑わい空間は、百貨店、商店街、地下街などによって形成されてきたのであるが、百貨店という商業形態は変曲点を迎えていることから、新たな変遷期を迎えることになりそうだ。それと共に、名古屋の都心における賑わい空間としてアーバンリゾート空間(vol.37、115ご参照)の形成を期待したい。都心に集積するオフィスに努める人々にとって、仕事の合間や終業後に気分転換のできる日常的なリゾート空間だ。その条件は、オフィス集積地に近く、水辺や緑地があり、高層ビルを借景に飲食や買い物、散策ができることが求められる。名古屋の都心地区に置き換えると、名駅地区では中川運河沿い(堀留を含む)、栄地区では堀川沿い、金山地区ではガーデンふ頭が好立地だ。商業機能だけに賑わい創出を任せるのではなく、飲食機能や宿泊機能と共に、周辺空間要素を取り込んだ都心のリゾート空間を形成していくことが、今後の名古屋の賑わいづくりに必要だ。特に、水辺を賑わい空間に活かすことが名古屋新時代への課題だ。

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