Vol.81  名古屋市営交通100年を振り返る (その2)  -名古屋都市センター企画展を観覧して 【バス編】-

(vol.80からの続きです)

名古屋都市センターが開催した企画展「名古屋市営交通100年」を観覧して触発され、名古屋市における公共交通100年の歴史を2回に分けて振り返ることにした。「その1」では交通局の発足と市電から地下鉄への変遷を振り返り、改めて市電と地下鉄が果たした名古屋発展への貢献を認識した。本稿では「その2」として、バス事業を中心に振り返るとともに、筆者が感じている交通局の矜持について述べたい。

4.バスが活躍した時代  -ボンネットバスの登場から箱型バス、そして低床バスへ-

名古屋市交通局の前身である電気局は、その設立とともに市電事業を開始(1922年)し、そこから8年後の1930年(昭和5年)にバス事業を開始した。これは当時、民間企業が続々とバス事業に参入し、市電とバスで乗客を奪い合う状況となったため、自衛の策として市営バス事業を始めたと名古屋都市センターの企画展資料は伝えている。

その後、戦時体制になるとガソリン節約でバス路線の廃止に追い込まれたり、市電敷設の資材不足からトロリーバス(無軌条電車)を導入したり、戦後復興期には進駐軍の払い下げ車両を使用してバス運行を行うなど、戦中戦後は苦難が続いたようだ。それでも終戦4年目の1949年(昭和24)にはディーゼルエンジンを車両前部に積んだボンネットバスを導入し、バス輸送力増強の歩みを始めた。1950年代はさらに進化した箱型バスへと転換するなど、車両の近代化が進められた。戦後のレトロなバスと言えばボンネットバスを思い浮かべるが、名古屋市交通局では7年しか運行していなかったことになる。

時代が戦後復興期から高度成長期へと突入していくと、市内の交通需要は急速に増加し、きめ細かい路線で市域全体をカバーできるバスが市内交通の主役となっていく。1960年(昭和35年)には市電の利用客を抜いてバス全盛時代を迎え、最盛期は1964年(昭和39年)で利用者数は94万人/日に達したという。

しかし、モータリゼーションの進展(1960年代以降)が加速していくにつれて道路混雑が激しくなると、バスの表定速度(時刻表の前提となる速度)は低下し、交通手段としての機能低下と経営効率の悪化へと繋がっていった。これに対し、名古屋市交通局はワンマンバス化(1976年完了)、都心循環バスの運行(1978年開始)、冷房車の導入(1989年完了)、低床バスの導入など、バスの経営効率の改善と快適性向上の両面に腐心しながら現在まで取り組みを重ねてきている。

1960年代に地下鉄時代が幕を開け、1970年代以降に地下鉄路線の拡充が進むと、地下鉄並行路線のバスを廃止するとともに地下鉄駅の整備に合わせてバスを結節させるなど、バス路線の再編を繰り返して今日の市営交通網の形成に至っている。

5.経営危機に直面、健全化計画の策定へ  -有識者委員会に参画、市交の矜持に得心-

名古屋都市センターの企画展「市営交通100年」からは少し離れるが、筆者が垣間見た名古屋市交通局の努力の舞台裏をご紹介したい。

全国の公営バス事業に共通して言える事だが、バスの経営環境は小泉政権下(2001年~2006年)に大きく変わった。「民間でできることは民間で」という号令の下、バス事業における民間経営の自由度が高まり、これを受けて民営バスは赤字路線の廃止を機動的に行うことが可能となる一方、維持を模索した公営バスの民営化、事業譲渡、運行委託などの受け皿となっていった。こうした自由化の流れは民間バス事業者による赤字路線の廃止を全国で加速させ、足を奪われた市民の移動をサポートするためにコミュティバスを運営する市町村が増加した。民営も公営も路線バスは縮小傾向の道を辿ったのである。

一方、地方分権改革も論議が活発化し、地方公共団体には自律的で健全な財政運営を求める必要があるとの観点から、「地方公共団体の財政の健全化に関する法律(以下、財政健全化法)」が2007年(平成 19 年)に公布された。これにより、地方自治体はその外郭団体を含めて、国が指定する経営指標を基に財政健全化に向けた監視・報告を行うとともに、指標の達成状況が悪い団体には経営健全化計画の策定と議決を義務付けた。2008年(平成20年)の時点で、名古屋市交通局のバス事業は資金不足比率が55%を超えており、国が示す基準(20%未満)を大幅に達成できていなかったため、バス事業は経営健全化計画を策定する必要性に直面した。また、地下鉄事業は国が示す経営指標の基準に抵触していなかったが、実質資金不足額が増加を続けて多額となり財務基盤が脆弱であったことから、地下鉄事業についても自主的に経営健全化計画を策定することとした。ある意味で、交通局は存続の危機に瀕したのである。

筆者は、この時設置された経営健全化有識者委員会に招聘された。事務局が提示する計画案に意見を申し上げる立場であったが、この時の事務局案は己に厳しい真摯なものであった。全職員の給与カットの断行や新しい賃金体系に基づく職員採用枠の導入、一部業務の民間委託などによって人件費を大胆に圧縮するとともに、公告料等の運輸収益以外の収益の増進などが掲げられた。また、利用者第一主義を徹底する姿勢を打ち出すとともに、利用者ニーズに応じた企画チケットの販売やイベント催行などを掲げ、「ドニチエコ切符」や「駅ちかウォーキング」に代表されるヒット商品を生み出すことになって行った。

こうした内容を織り込んだ経営健全化計画(2009年~2016年)が策定され、筆者はその後の進捗管理にも携わったが、交通局は順調に目標達成へと駒を進めていった。厳しい計画を自らに課し、順調に年次目標のラップを刻んで行った背景には、同時期に話題になっていた大阪市交通局の民営化論議の影響も少なからずあったように思う。大阪市交通局では、この時の論議を契機に市営地下地鉄を切り離して民営化(2018年に株式会社Osaka Metroへ継承)することになるのだが、名古屋市交通局にも民営化の波が押し寄せるのではないかという内部的な危機意識を感じ取った。

名古屋市内の公共交通には民間路線はほとんどなく、長い歴史の末に市営交通(バス、地下鉄)が市内公共交通の9割以上を担っており、バスの自由化に伴う性急な赤字路線の廃止が全国で相次ぐ中でも、サービス水準を保持しながら市民の足を守ってきた自負が交通局にはあった。だから経営健全化計画においても、「市民の足は市交(名古屋市交通局)が守る」を合言葉に厳しい計画立案と目標達成に向けた努力が重ねられたのである。「大阪は民営化しても名古屋は市交でできる」事を示そうではないかという気概が組織全体に浸透していった。筆者は内心、「もう少し早く取り組んでいたら」とか、「民営化を本格的に議論すべきではないか」という思いにも駆られたが、「市交の矜持」に満ちた取り組み姿勢に触れ、これを支持すべきと判断した。

なお、名古屋市のバス事業は、各路線ごとに営業係数が集計されているため、赤字路線は明確化されている。そして、赤字路線については赤字額の半分を一般会計から補助してもらうことになっている。つまり、市民の足を守るために、交通局の自助努力はもとより全庁的な協力の下にこれを支えるという体制が構築されているのである。

その後、バス事業の資金不足比率は2013年に17.3%となり目標と定められていた20%を切った。地下鉄も2014年に実質資金不足額の増加が止まり減少に転じた。2016年を経営健全化計画の期間満了年としていたが、バス・地下鉄共に前倒して目標を達成した交通局は、その後の経営計画として5カ年計画を累次にわたって策定して経営を続けている。

しかし、2020年(令和2年)に新型コロナウィルスのパンデミックが発生すると、運輸収益が激減し、順調に歩みを進めてきた経営計画の進捗は不測の事態に大きく狂うこととなった。しかし、これへの対処はアフターコロナの生活様式の定着動向を見定めていく必要がある。コロナ前の順調な運輸収益の水準に戻る事はしばらくはあるまい。しからば、どの程度の水準で推移すると見定めて経営を行うのか。その判断には暫時検討が必要だと思う。そして、その後にはリニア時代が到来する。その際には、名古屋の業務機能集積が一段と進む可能性がある(そうならねばならない)ため、新たな市内交通需要への対応が必要となるだろう。名古屋市交通局の経営環境は、今後も目まぐるしく変わる可能性が高い。

6.先進的取組を重ねた交通局のバス事業  -「国内初の取り組み」をトリヴィア-

名古屋市交通局は、市民にとって地味な存在に感じられるかもしれない。しかし、大学時代に交通計画を学んだ筆者には、名古屋市交通局はチャレンジャーとしての性格を有していると映っていた。

例えば、地下鉄名古屋駅の整備によって初の本格的地下街を産み落とし、名城線は環状地下鉄第一号であることなどをvol.80で述べたが、バス事業でも先進的な取り組みの歴史が刻まれている。基幹バス(1982年~)は専用の車線と停留所を持つBRT(Bus Rapid Transit)の先駆けあり、ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」(2001年~)は高架専用軌道を走る国内唯一の方式のBRTである。このように、バスも地下鉄も名古屋市交通局には新地開拓の精神が宿っていると思えるのである。

そして、今後はSRT(Smart Roadway Transit)が控えている。まだまだ構想中で、交通局が事業者になるとは決まっていないが、交通局100年の歴史に蓄積されたノウハウを活用しなければならない事業であることは間違いない。これまでもそうであったように、チャレンジャーとしてのDNAを失うことなく、果敢に取り組んでもらいたいと思う。但し、公営企業である交通局だけに新規事業を押し付けることはできない。名古屋市の交通の進化に向けては、全庁的な関与と経営支援の中で取り組まれる必要がある。100年もの間、名古屋市内の公共交通を守ってきた交通局は交通事業のプロ集団であり、苦難を乗り越えてきた気骨あふれる組織なのだから、今後も名古屋の発展を支えてくれるはずだ。頑張れ!名古屋市交通局!

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