名古屋市で次期総合計画の検討が始まった。市町村の総合計画とは、行政運営をする上で最も上位に位置づく長期計画だ。市が目指す将来像の実現に向けた取り組みを示す重要な計画で、各部局が所管する特定分野の行政計画は総合計画と平仄が合うように策定される。折りしも名古屋市の人口が減少に転じたタイミングで新しい総合計画が策定されることになるのだが、この機に経営的発想に立脚した計画を求めたい。
1.総合計画とは -市長のマニュフェストとの違いは何か-
地方自治体(都道府県および市町村)における総合計画は、行政運営上の最上位に位置づけられる長期計画であり、目指すべき発展像などを定める基本構想(10年程度)、その下で中期的な取り組み方針を定める基本計画(5年程度)、そして短期的な取り組みを位置付ける実施計画(3年程度)の三層構造で策定されることが一般的である(図1)。
このうち、基本構想については議決することが地方自治法で義務付けられた(1969年)ので、総合計画の策定は地方自治体にとって事実上必須とされてきたが、2011年の地方自治法改正で義務付けがなくなった。策定は地方自治体の判断に委ねられたのであるが、長期的な行政運営方針を持つことの重要性を各自治体は認識しているから、ほとんどの自治体が引き続き総合計画を策定している。地方自治体にとって根幹となる計画であり、行政運営の羅針盤とも言える存在であるから、行政職員にとっても住民にとっても関心が高い計画となる。
それでは、首長のマニュフェストとの関係はどうなのだろうか。総合計画は、その名が示す通り、全ての行政分野を網羅する計画である。これに対して首長が選挙時に示すマニュフェストは、重点的な公約事項であることが多い。従って、総合計画には市政全般にわたる網羅性があるが、マニュフェストには必ずしも網羅性はない。しかし、首長のマニュフェストと総合計画が不一致であることは自治体運営にとって不合理であるから、選挙で首長が交代した場合には、新首長のマニュフェストを踏まえた新しい総合計画が策定されることが多いのである。
さて、名古屋市である。名古屋市の総合計画は、1977年(S52)に議決された基本構想を今日まで引き継ぎつつ、5年間の基本計画を累次にわたって策定してきており、現計画「名古屋市総合計画2023」は2023年(R5)までの計画期間となっている。次期計画に向けては、2022年度(R4)に検討を着手して2023年度(R5)に策定を完了し、2024年(R6)から5カ年の計画となるものと思われる。
筆者は、名古屋市は基本構想を改定する時期が来ていると思う。45年前に議決された基本構想は今読んでも実によくできており、大筋では名古屋の歩むべき道程が正しく記されていると思えるのであるが、大きな違和感を覚える点もある。それは国土の認識である。日本の国土は大転換期を迎えようとしているのであるから、名古屋市の役割も変わる必要があろう。新しい国土を想起し、その国土における名古屋市の役割を位置付けた上で総合計画を立案することが必要だと思うのだ。
問題は、どのタイミングで基本構想を改定するかだ。現市長は総合計画に関心をお持ちでないように筆者には思える。総合計画に熱い思いを注ぐ市長の下で基本構想を刷新することが望ましいから、今回は基本構想を継続とし、更に次の改定期に基本構想とセットで総合計画を改定することを想定し、その検討を温めておくことが良かろうと思っている。
2.時代の潮流と現状課題 -課題はあるが未来は明るい-
名古屋市の現下の主な課題を筆者の目線で4つ整理しておきたい。第一は人口問題だ。2021年に名古屋市の人口は25年ぶりに減少に転じた(vol.68ご参照)。その主因は社会増の急速な縮小にある。世代別の社会増減を見ると、15~24歳の人口が転入超過であるのに対し、30~40代の人口は転出超過となっている。世帯形成期、住宅取得期、子育て期の世代が市外に転出する傾向が見て取れる。名古屋市の人口動態は、自然減が拡大する中で社会増がこれを補って人口増加を維持してきた。自然減の傾向は短期的には止められないが、社会増減は短期的な転換を繰り返すことが往々にしてある。そして、社会増減の転換は、時代の潮流や政策によってもたらされることが多い。30~40代の人口の充実は市経済の活力に直結するから、こうした層を呼び込む政策を講じていかねばならない。
第二は公共投資への姿勢だ。2019年の人口一人当たり普通建設事業費は、国内主要9都市中で名古屋市は最下位であった(vol.63ご参照)。実質公債費率も下降の一途を辿っている。これらは、公債費の償還を重視して新規の起債を抑制し、投資的経費に十分な予算を確保出来ていない可能性を示唆している。つまり、財政規律を偏重し過ぎてはいないかとの懸念を抱かせるのだ。公共投資は民間投資を誘発するとともに、市経済を活性化させ、市民生活のQOLを上げる効果があるから、これに慎重過ぎるのは時として問題だ。投資すべき時宜となれば、積極的な財政出動に転ずる姿勢を求めたい。
第三はシビックプライドの低さだ。2016年に公表された調査結果によると、主要都市の中で名古屋市のシビックプライドは最低となった(vol.12ご参照)。これを放置しておくことはできまい。データを詳細に見ると、名古屋市民は大きな不満を抱いていない。しかしながら決定的なまち自慢を持つには至っていないことも明らかとなった。この点がシビックプライドの未成熟に繋がっている。いかにして市民の誰もが共有できる強烈なまち自慢を構築するかについて、ハード・ソフトともに徹底的に検討していかねばなるまい。
第四は国際化。現行計画では「世界に冠たる「NAGOYA」へ」とキャッチフレーズが掲げられている。これは、2026年に開催されるアジア競技大会と、その後のリニア中央新幹線の開業による国内外の交流増進を踏まえて打ち出されたと解され、筆者としてはこの打ち出しに拍手喝采を送ったものである。しかし、未だ名古屋市の国際化は誠に発展途上だ。日本第三の大都市であるならば、国際化の進展は市民が実感できるものでなくてはならない。代表的な事象は国際会議の増進と外資系企業の立地増加なのだが、アジア競技大会の開催を契機としてこうした国際化が加速していく道筋が見えていないのが課題と感じる。
これらの現下の課題を踏まえた上で、今後の国土における名古屋市のポテンシャルを見通しておきたい。筆者は、「(DX+コロナ)×リニア=名古屋の時代」と読んでいる(vol.68ご参照)。日本は東京一極集中型の国土構造であるが故に、企業や家計は高コスト負担を余儀なくされているが、(DX+コロナ)で脱・東京の潮流が生まれ(vol.57)、リニアが開業されれば東京以外の立地選択が広域的に多様化する潮流が生まれるものと展望している。さすれば、名古屋を活用することが経済合理性に叶う。最も期待したいのが業務中枢機能の集積が促進することだ。多くの経営者が名古屋での本社立地を選択すれば、そうした企業の利益効率は上がって国際競争力も向上するだろうし、30~40代の流入を促進するに違いない。但し、待つばかりではポテンシャルを活かしきることはできない。先の課題を克服すべく手を打つことで、国土における名古屋活用の潮流を呼び込む努力をしなければならない。
現下の課題を直視し、訪れつつある発展の好機を的確にとらえ、戦略的なシナリオを描く総合計画の策定を模索していく必要がある。
3.経営的発想に基づく計画を -戦略的な投資でトップラインを上げよ!-
次期総合計画に求めたい事は、経営的発想に立脚することである。名古屋市に限らず、地方自治体は長きにわたって行財政改革を続けてきている。これは一言で言えばコスト改革だ。しかし、真の経営的発想に立てば、収入を上げることに重点を置かねばならない。市の税収を上げることを色濃く企図した計画づくりを行うことを意味する。これが「トップラインを上げる」総合計画だ。
そのためには投資を重視する事が必要だ。公共投資を起爆剤として民間投資を誘発し、その効果が循環することで税収が増進するメカニズムの構築を戦略的に図らねばならない。現行の名古屋市総合計画2023にも5年間の計画事業費が掲載されているが、こうした数値の中に大胆な発想によって課題を克服しようとする投資がどこまで積まれているかは不明であるため、大胆な投資への積極姿勢をどこまで明示できるかがポイントだ。
当然、財政当局は引き締めを図りたいだろう。湯水のごとく財政出動する訳にはいかないし、膨らみ続ける扶助費を確保しながらやりくりに腐心している現状も理解できる。しかし、これから10年ほどの名古屋市は、攻めに転ずる姿勢が必要だ。「(DX+コロナ)×リニア=名古屋の時代」を現実のものとしていくためには、民間企業の経営者に名古屋を選択したいと思わせねばならないし、30~40代の人々に名古屋への憧れを抱かせる必要がある。こうしたことを実現するための投資が必要であり、その結果トップラインを上げるメカニズムを意識して財政当局を説得する必要があろう。
例えば、各分野の取り組みを積み上げる計画事業費とは別に、「戦略的な投資枠」を設け、年平均1,000億円、計画期間の合計で5,000億円の投資資金を起債などで用意する旨を明示してみてはいかがだろうか。さすれば、民間からは様々な提案が意欲的に寄せられるに違いない。名古屋市が憧れの対象となるような大胆な投資とは何をなすべきかを、行政だけで考えるのは限界があろう。民間の知恵を引き出しながら名古屋を改造する投資を計画していくことが望ましい。
名古屋市の立地条件は黙っていてもリニア開業で飛躍的に良くなるが、名古屋市が諸機能を惹きつけるブランド性を醸成する努力をしなければ人々は集まるまい。そのためには、圧倒的に大胆な発想でまちづくりに取り組む必要がある。そのような投資を計画予算として建てつけることが出来るか否かが次の総合計画には求められると思うのだ。大いなる論議を期待したい。