膠着状態が続くリニア中央新幹線(以下、リニア)の静岡県内着工問題で、国土交通省が設置した有識者会議が中間とりまとめを出した。トンネル工事に伴う大井川の流出水を「全量戻せば流域への影響はない」という主旨だ。これに対して静岡県は、具体的で詳細な内容を確認できなければ着工を認めないという姿勢を固持している。筆者は、リニアの開業効果と必要性について繰り返し発信してきているが、本稿ではリニアの開業意義を改めて整理するとともに、静岡県民が納得して着工に同意するための対応を考えたい。
1.有識者会議の答申 -大井川に水を全量戻せば影響は軽微-
JR東海と静岡県の交渉決裂が表面化した(2017年)ことを受けて、2020年に国土交通省は有識者会議を設置して客観的な検討に着手した。膠着を解くために行司役を買って出た形だ。有識者会議は2021年12月19日に中間報告をとりまとめ、「トンネル掘削で発生する湧水を大井川に戻せば中下流域の流量は維持され、地下水への影響も極めて小さい」と結論付けた。今後は、湧水を戻す方法を静岡県とJR東海とで協議を進めるよう促している。
これを受けて、JR東海は「自社の取り組みに一定の理解を頂いた」と反応したが、静岡県は「色々と疑問が残り、中間報告のいいとこどりをされても困る」と頑なな姿勢を崩しておらず、着工への見通しは未だ立っていない。こじれにこじれた問題が1日も早く前進するためには何が必要なのだろうか。リニア開業の意義を改めて共有するとともに、JR東海に求められる静岡県への対応を早急に模索することが必要だと考える。
2.リニアの開業意義 -3つの意義。それは経済効果、国際競争力、国土強靭化-
リニアの開業は実に意義深いのだが、その内容は大別して3つあると筆者は考えている。第一は経済効果が大きいこと、第二は日本が国際競争力を再び高めていくために必要な条件となること、第三は災害に強い国土となることだ。以下に、各々について整理したい。
①大規模な経済効果 -10.7兆円の経済効果。他に例のない大規模効果-
本コラムでも繰り返し紹介してきているが、リニア開業による経済効果はかつてないほどの大きな効果が期待できる。筆者がMURC在籍時に試算した経済効果額は10.7兆円(ストック効果、50年便益)であった。これは、現在の社会条件にリニアが登場した場合に生産性が向上したり観光消費が増加すること等によって、リニアがない場合に比べて増加する経済活動量を示しており、いわゆる経済効果と呼ぶ数値だ。
敢えて手堅く計算しており、日本の人口減少を織り込んだ上で、リニア沿線地域で実施される地域開発効果は含めていないし、インバウンド観光客による消費増加も織り込んでいない。従って、実際にはこれ以上の経済効果が生まれるに違いないと考えている。筆者らは他にも多くの社会資本の経済効果を計測しており、新東名高速道路の整備効果は9兆円ほどであったし、中部国際空港の開港効果は6兆円ほどであったから、交通プロジェクトの歴史上、過去最大の経済効果をもたらす事業だと考えている。
日本は人口減少社会となっており、デフレ経済が長らく続いて経済成長は低成長を続けている。今後に目を転じても、人口減少は加速し、構造的な財政赤字からの脱却は容易ではなく、エネルギー確保や原材料調達に係る国際交易も条件が厳しくなる環境下にあって、日本経済を活性化するプロジェクトは限られている。五輪や万博といった明るい話題は一時的な経済効果しか期待できない。Society5.0やカーボンニュートラル、SDGsといった新しい国際的パラダイムによる経済発展には期待するが、これらは世界潮流の中での熾烈な競争だ。翻ってリニアは、日本が独自に大きな経済効果を長期にわたり掴み取れるプロジェクトなのだから、機会を逸することなく実現しなくてはならない。
②国際競争力のある魅力的な国土への転換 -東京に依存する国土は高コスト構造-
日本の国土は東京一極集中を生みながら発展してきたのであるが、これに伴う歪みを是正すべきとする課題が長らく認識されてきた。しかし、是正されるどころか、東京への一極集中は度合いを増し続け、日本は過度に東京に依存しなければならない国土となっている。
企業は東京に事業所を確保しなくてはビジネスが広がり難く、地方の家庭の多くは子供達を進学時に東京に送り出さねばならない。この結果、邦人企業も家計も高いコストを強いられている。つまり、日本という国土は、企業や若者の成長のために高コストを強いる国土なのだ。これでは国際競争を勝ち抜いていくにはハンデが大きすぎると言わざるを得ない。
リニアが開業すれば、日常的には東京から離れた地域で仕事(生活)をして、必要に応じて東京に出向いて対面活動を行うというビジネススタルが実践しやすくなる。期せずして勃発したコロナ禍により、リモートスタイルの有効性が実証され、東京という高コストな立地ではなく、地方という相対的に安い立地での活動の意義が注目されるようになった。好条件なのはリニア沿線地域で、こうした地域を活用すれば東京に依存せずにビジネスや就労が成立しやすくなるわけで、東京以外の立地選択が国土に広がることとなる。これは、「東京依存=高コスト負担」という呪縛から解き放たれることを意味し、結果的には日本(企業や個人)の国際競争力が高まる可能性が生まれる。
コロナ禍を経験して我々が実感したことは、リモートスタイルが有効であることと、ここぞというときには対面活動が必要であるということである。ということは、ポストコロナにおける広域移動は、従来以上に価値の高いものとなる。付加価値の高い移動を支える交通手段として、航空機並みの速度で定時制の高いリニアはまさにうってつけだ。リモートとリアルを自在に使い分ける選択の多様性を持った国土に転換せしめるのがリニアであり、その向こうにあるのは高コストを強いられない国際競争力を生む国土の実現だ。
③国土強靭化への貢献 -完全途絶しない旅客軸を創るー
日本という国土は、大規模自然災害のリスクにさらされている。地震、津波、豪雨などが激甚化しており、これを抑えることは今後もできまい。大規模自然災害が発生したとしても、経済活動拠点が孤立することのないようなネットワークを作ることは、リスクマネジメントの観点から重要だ。
東京~名古屋間の高速交通網を確認してみたい。高速道路は東名高速、新東名高速、中央高速の3ルートがあるため、物流が完全途絶することはなかろう。そしてリニアが開業すると東海道新幹線とで二重化されるため、人流も完全途絶しにくい状況が整う。つまり、東京~名古屋間は、高速道路と新幹線の両方が多重化される区間となるのであり、物流も人流も完全途絶しない唯一の大都市間となる訳で、国土強靭化に向けて重要な役割を果たすこととなる。
東京と完全途絶し難いという立地条件は、諸機能を分散して東京一極集中を是正していくために重要な条件だ。過度に東京に機能が集中した状態で首都直下地震などが発災した場合に被害が甚大となることを回避できるし、諸機能を分散できた場合には、非常時に東京と途絶することなくBCP対応ができるからだ。完全途絶しない地域に機能を分散させることが国土強靭化に貢献すると考えられ、大規模自然災害時における経済活動の停滞を最小限に抑えるという観点からも、高速交通網(物流軸+旅客軸)の多重化は意義が大きい。
■日本の発展の前提となる社会資本
以上のように、経済効果、国際競争力、国土強靭化の観点からリニアの開業意義は大きい。既に日本という国土はリニア開業を前提として将来像が描かれ、様々な計画が進められている。リニアは、もはや後戻りも停滞もできない事業であり、日本の発展の大前提となる社会資本なのだと解さねばならない。
3.JR東海に求められる静岡県への対応 -自社利益よりも社会的便益を優先せよ-
リニアの静岡県問題がここまでこじれたのは、JR東海による静岡県に対する姿勢に問題の一端があったと筆者は感じている(vol.7ご参照)。十分なデータを開示した上で、地域の意見や関心事を丁寧に傾聴し、有効な代替案を示しては修正を重ねるというアカウンタビリティ活動、或いはパブリックインボルブメント活動が不十分であったと思われる。このために、静岡県との信頼関係が構築されず、協議が膠着化したように思える。
国土交通省が設置した有識者会議の結論は、日本を代表する専門家による客観的で高度な見解として極めて有効だが、これを金科玉条のごとく振りかざすような姿勢では前に進むまい。有識者会議の見解を受けて、具体的な工法や効果の見通しを、JR東海から改めて静岡県に丁寧に示し、一つ一つの質問に答えていくことが必要で、その際には「膝を折って説明する姿勢」がまずは何より大切だと感じている。それは、一度失った信頼関係から始める関係作りだからだ。
次に、有識者会議で示された「流出水の全量を大井川に戻す」方法についてだが、恐らく複数の手法や工法が想定されるものと思料する。その際には、出し惜しみすることなく十分な対策を選択して提示してほしい。フルスペックでというと語弊が生じるかもしれないが、コストを意識するあまりに不興を買うような事態は避けてほしい。十分な対応をするために工費負担が大きくなる場合には、国に支援を仰ぐなどして「投入を惜しまない積極姿勢」が必要だと思う。
そして、静岡県民にとっての「メリットを明示」することも別途必要になると思う。神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県にはリニアの中間駅ができるのだが、静岡県には工事区間はあっても駅はできない。大井川の水問題が解消されたとしても、静岡県にとってのプラス材料はないのだ。それ故、リニアの建設工事と供用に合わせて静岡県民が享受するメニューを提示してほしいのだ。例えば、東海道新幹線におけるひかり号の増発や新駅設置などが考えられ、他にも多様に検討してもらいたい。静岡県民が求めてきた事ではないにしても、今後は何某かのメリット策を合わせて提示するのが礼儀ではなかろうか。
以上のように、膝を折る姿勢にしても、大胆な費用投入を覚悟するにしても、静岡県にメリットを提示するにしても、JR東海が自社のプライドと利益を優先していては始まらないだろう。社会資本に携わる者は、誇りも必要だが地域へのリスペクトを示せる度量が重要だ。事業単位の利益確保を優先せず、社会資本事業は社会的便益を通じて社業への好循環を長期的にはもたらすものと銘じて事に当たってもらいたい。静岡問題を乗り越える事が、JR東海の新たな矜持へと結実していくに違いないと筆者は信じている。胸襟を開いた協議が一日も早く整い、早期の着工となることを願ってやまない。2030年代初頭にリニア時代が確実に幕開けすることを期待している。