Vol.26モノづくり中部の発展はいつから始まったのか -リーディングカンパニー群の創業と揺籃-

日本の国土における中部地域(5県:愛知県、岐阜県、三重県、静岡県、長野県)は、国内最大で最強のモノづくり中枢地域だ。機械工業(輸送機械、一般機械、電気機械、精密機械産業)とセラミックス産業の分野を中心に世界的企業が群雄割拠している。これらの産業は、明治期に創業し、その後の揺籃期を経て第二次大戦後の復興期、高度経済成長期の日本経済の成長を力強く牽引し、今日においても我が国の発展と国際競争力を先導している。こうした世界に誇る中部地域のモノづくり産業の発展の歴史を紐解いてみたい。

1.近代化される前の中部地域の産業  -「木、糸、土」の産業-

江戸時代の尾張地域では、木曽三川流域の山々で良質な木材が豊富に採れ、これらを舟運により河口地域に運ぶことができたため、材木問屋が集積した。特に木曽檜は尾州材として価値が広く認められ、木曽川河口から堀川に木材を運んで名古屋城下で取引がなされた。東別院建立にあたり中心的な役割を果たした材木屋惣兵衛(現、材摠木材株式会社)は、今に至るまで名古屋を代表する材木企業である。良質な木材の集積を背景に、これを加工する技術も培われ、精密な歯車を削り出す匠の技は、からくり時計やからくり人形へと結実した。これらは木の産業と呼ばれる。また、歯車は糸紡ぎに用いられ、家庭内工業による綿糸などの生産を支えた。これは糸の産業だ。一方、良質な粘土が産出されたことから窯業が栄え、瀬戸、多治見、常滑などに焼き物産業が育った。これは土の産業である。

近代工業化が起こる前のこうした「木、糸、土」の産業は、その後の中部地域における近代工業化の幕開けに繋がる素地になったと考えられている。歯車の技術は機械産業へと姿を変え、糸の産業と結びついて織機産業や紡織産業という中核産業へと発展していった。木の産業と糸の産業が連鎖・融合しながら中部地域で近代化したのである。また、織機産業からは自動車産業が派生し、これが独自の産業として発展したのであるが、この間に土の産業はニューセラミックス産業へと進化し、その過程でスパークプラグや排ガス浄化製品となって自動車産業の一層の発展を支えた。機械工業に土の産業が近代的に融合したのである。

このように、江戸時代の「木、糸、土」の産業が様々に結び付き合って機械工業を軸に中部地域で発展してきたと概括できるのである。以下では、その中心となった主要企業の沿革を整理することで、中部のモノづくり産業の創業期と揺籃期を振り返りたい。

2.中部地域における近代工業発展の歩み  -1900年代初頭に相次いだ創業-

中部地域では、自動車産業が愛知県、静岡県で隆興したことに端を発し、関連部品産業が岐阜県や三重県などでも集積が進んだ。また、航空宇宙産業が愛知県、岐阜県で発展したことで、関連部品産業が長野県などでも発展した他、長野県には精密機械産業の集積も進んだ。これらの分野を代表する企業の沿革を要約してみたい(以下、人物名は敬称略)。

■森村グループ

森村兄弟が森村組(現、森村商事)を興して米国陶器の貿易を始めた後、日本陶器合名会社(現、ノリタケカンパニーリミテド)を愛知県愛知郡鷹場村大字則武(現、名古屋市西区)に設立したのが1904年である(所在地名が同社の企業名の由来となった)。米国向け洋食器セットを製造することが目的で、9年ほどの試行錯誤を経て高いクオリティを確立し、本格的な対米輸出が軌道に乗り始め、急激に成長を遂げていった。業容拡大に伴って衛生陶器を生産する東洋陶器株式会社(現、TOTO株式会社)を1917年に設立した他、芝浦製作所(現、東芝)から依頼を受けたことを契機に高圧碍子を生産する日本碍子株式会社(現、日本ガイシ株式会社)を1919年に設立した。また、日本碍子株式会社からは、日本特殊陶業株式会社が1935年に分離独立した。尚、1924年には常滑を拠点としていた伊奈製陶所(後のINAX)が森村グループの建築陶器メーカーとして加わったが、現在はLIXILとなって森村グループから離れている。

森村グループの中核製品は、当初、世界的に名を馳せた高級食器「ノリタケ」であった訳だが、グループの各企業がセラミックス技術を進化させ、日本ガイシはガソリンエンジン排ガス浄化用セラミックスを開発し、厳格化を辿った排ガス規制をクリアできる自動車の生産を支えた。また、日本特殊陶業は世界トップシェアのスパークプラグメーカーとして発展し、世界中の自動車メーカーがこれを採用した。自動車産業とセラミックス産業は共創して発展したのである。

現在、森村グループのモノづくりを先導したノリタケカンパニーリミテッドの発祥の地となった工場跡地は、「ノリタケの森」として市民に親しまれるとともに、一部は新たな名駅地区の都市開発用地としても一翼を担っている。

■トヨタグループ

発明王として名高い豊田佐吉が豊田商会を設立したのは1902年。その後、豊田式織機株式会社、豊田織布工場などを開設した。則武新田(現、名古屋市西区)に豊田自動織布工場を設立したのは1912年であった(期せずして日本陶器合名会社と近接している)。これが佐吉のルーツとも言えるトヨタ紡織株式会社誕生へと繋がった。その後、佐吉は長男の豊田喜一郎とともに刈谷にて株式会社豊田自動織機製作所(現、株式会社豊田自動織機)を1926年に設立した。トヨタグループの本家・源流となるこの会社の中に、父の血を受け継いで発明に熱心な喜一郎が自動車部門を立ち上げ、1936年にトヨタ自動車工業株式会社として独立し、その後のトヨタ自動車株式会社となるのである。

佐吉は農家の内職産業に過ぎなかった綿糸などの糸紡ぎの生産効率を上げるべく、織機の開発に生涯を注いだ。内燃機関の発明と相まって圧倒的な生産性を誇る豊田式織機を次々と開発し、紡織産業と織機産業を興していった。

一方、喜一郎が苦心の末に自動車の生産を軌道に乗せると、時代はモータリゼーションが幕開けし、自動車産業は一気に全世界の中核産業へと駆け上って行った。1949年には、電装部品の開発などを手掛けていた部門を日本電装株式会社(現、株式会社デンソー)、機械部品を手掛けていた部門を愛知工業(現、株式会社アイシン)として分社化し、各々が世界企業へと成長して今日に至っている。

トヨタグループの成長は、愛知県や中部地域、日本の産業経済の発展にとって他に比肩できる存在がないほど大きな影響を与えた。数多くの傍系企業を生み、裾野の広い産業構造を確立したのであるから、トヨタグループの存在無くしてモノづくり中部は存在しなかったと思えるのは筆者だけではあるまい。

現在、豊田佐吉が開設した豊田自動織布工場跡地は「産業技術記念館」となっており、佐吉が発明した織機の変遷や、喜一郎が開発した自動車の発展の歴史などが分かりやすく展示されており、モノづくり中部を紹介するにふさわしい博物館となっている。

■三菱重工(航空宇宙事業部門)

三菱重工の創立は、1884年に国から引き継ぐ形で長崎造船所を創業したのが端緒であるが、1920年に三菱内燃機製造株式会社名古屋工場が大江町(現、名古屋市港区大江)に開設されたことが、中部地域における航空宇宙産業の発端となった。その後、紆余曲折を経ながら三菱重工の航空宇宙事業部門として発展し、名古屋航空宇宙システム製作所(大江工場)、名古屋誘導推進システム製作所(小牧工場)として今日に至っている。

航空機産業の中核的役割を担った大江工場では、第二次大戦時には戦前から数多くの陸海軍の戦闘機を生産し、中でも大戦中に活躍した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の設計・生産は有名を轟かせた(宮崎駿が制作したアニメ「風立ちぬ」で主人公のモデルとなった堀越二郎が零戦の設計・製造に当った)。終戦直後の1945年にはGHQから財閥解体命令や軍需生産禁止命令が出されて航空機産業は停滞したものの、1952年にサンフランシスコ講和条約の発効で日本の再独立が認められると、日本企業による航空機産業禁止が一部解除され、国産民間機の設計・製造気運へと繋がった。国内航空技師の英知を結集して設計されたYS-11は、三菱重工を中心に他社と分担して生産を行い、最終組み立てを小牧工場で行った。また、海外メーカーのヘリコプター(シコルスキー社等)や戦闘機(ロッキード社等)、旅客機(ボーイング等)のノックダウン生産やライセンス生産も多数行っている。更に、国産ロケットの開発・製造に多数の実績を有して我が国の宇宙開発に貢献するとともに、現在はスペースジェット(中型旅客機)の設計、製造、型式証明取得に取り組んでいる。

こうして航空宇宙産業の中核となる三菱重工を筆頭に、岐阜県には川崎重工業が立地する他、関連部品を供給する製造業も中部地域に育まれ、長野県などに集積が進んでいる。

■スズキ

大工であった鈴木道雄が鈴木式織機製作所を静岡県浜名郡天神町村中嶋(現、浜松市中区)に創業したのは1909年であった。その後、1920年に鈴木式織機株式会社を設立した後、培った機械技術を市場の大きい自動車の製造に転用する事に積極的に取り組み、1954年に鈴木自動車工業株式会社に改称(現、スズキ株式会社)して軽四輪とオートバイの製造販売を本格的に展開した。今日では、世界的に名だたるメーカーとなり、静岡県西遠地域に輸送機械産業クラスターを形成している。

■セイコーエプソン

服部時計店(現、セイコーホールディングス)が自社の時計工場を分離独立して株式会社精工舎を設立したのは1892年であった。その後、1937年に株式会社第二精工舎(現、セイコーインスツル株式会社)が独立した。同社は1943年に諏訪に生産拠点疎開の目的で諏訪工場を開設したが、1959年に地元の有限会社大和工業と合体して株式会社諏訪精工舎(現、セイコーエプソン)として分離独立している。その後、電子時計技術を活かして電子デバイスの開発・生産に主力を移し、地元の精密機械メーカーを吸収しながら、今日では長野県における精密機械産業の中核を担う企業となっている。

3.揺籃を終えた以降の中部地域の産業構造  -業種構造は輸送機械産業が主軸に-

このように、20世紀初頭(1900年代初頭)に中部地域の各地で我が国の近代工業を牽引してきた企業たちが相次いで創業し、1950年頃には中部地域に拠点を置いて世界に羽ばたいた主力企業群がほぼ出そろい、揺籃を終えていたと振り返ることができる(図表1)。かくして、今日まで創業期から100年以上に亘り、中部はモノづくり地域として繁栄を続けてきたことになる。この間、世界大戦、幾度かの経済ショックや大規模災害に見舞われながらも、常に日本経済を牽引しながら発展してきたのである。

そして、揺籃を終えた1950年頃以降では、中部地域のモノづくりの業種の構造が変遷した。工業出荷額の中部5県内における業種別シェア順位の推移をみると(図表2)、モノづくり中部の業種構造は戦後の復興期(1950年代)から高度成長期前半(1960年代)までは繊維工業が中核であったものが、1970年代に入ると輸送機械にトップが入れ替わって台頭し、同時に業種構造の変動期が訪れ、1990年代以降に現在のモノづくり中部の業種構造が形成されたことが分かる。即ち、輸送機械を筆頭に、電気機械、一般機械で構成されるのが中部地域の今日の産業構造であり、こうした変遷を経て中部地域の発展と繁栄が1世紀を越えて続いてきたのである。

世界に目を移すと、100年以上をモノづくり産業だけで栄え続けた地域は稀である(他稿で紹介したい)。モノづくり産業とともに発展を続ける中部地域の歩みは、世界的に見れば世界記録更新の歴史とも言えそうである。

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