Vol.27モノづくりだけで繁栄を続ける中部地域の凄さ -世界の工業地域の盛衰と世界記録への挑戦-

誰もがモノづくり中枢と認める中部地域(愛知、岐阜、三重、静岡、長野の5県)では、近代工業の発展は1900年代初頭から始まった。今日まで100年を越えてモノづくりとともに発展してきたこととなる。世界各地にも工業地域として名を馳せた地域が多数あるが、その多くが没落や構造転換を余儀なくされてきた。1世紀以上に亘りモノづくり産業で繁栄し続けている地域は稀有だ。モノづくり中部の凄さの一端を考えてみたい。

1.世界の主要工業地域の盛衰  -モノづくりだけで100年以上の繁栄は稀有-

イギリスでは、ジェームス・ワットによって1769年に蒸気機関が発明され、1800年代初頭から工業動力の主力として本格的に導入された。これが第一次産業革命と呼ばれている。当時、蒸気機関を動力とすることで著しく発展したのは綿織物工業であり、蒸気を発生させる主力燃料は石炭であった。蒸気機関は、欧米各地で多様な分野で積極的に取り入れられ、蒸気機関車や蒸気船などの交通革命を起こし、都市の変革と発展を促した。従って、1800年代前半は蒸気機関を活用した工業都市が、経済発展の先頭ランナーとなった時代である。

中部地域における主力企業の創業が相次いだのが1900年代初頭であったから(vol.26「モノづくり中部の発展はいつから始まったのか」ご参照)、当時の中部(日本と言っても良い)は、欧米先進地域から100年遅れで近代工業化の道を歩み始めたと言って良い。

筆者が、1970年代に義務教育で学んだ世界各地の工業地域は、蒸気機関の導入とともに近代工業が開花した都市や、主力燃料となった石炭の産出地に端を発する地域が多数あった。しかし、100年先を走っていたこれらの世界的工業地域は、そのほとんどが1世紀前後で発展が止まり、没落や産業構造の転換を経験している。以下に、その概要をご紹介したい。

■ランカシャー工業地域(イギリス)

第一次産業革命による蒸気機関の活用によって19世紀に綿工業が隆盛し、イギリスを代表する軽工業集積地となった。19世紀後半の第二次産業革命によって産業構造が重工業化していくとイギリス国内の工業の重心はバーミンガムを中心とするミッドランド地域に移り、ランカシャー地域の工業は勢いをなくして行った。その後、第二次世界大戦時に大規模な爆撃を受けて多くの工場が被災した事が決定的な打撃となり、ランカシャー地域の工業の灯は消えた。戦後は工業都市としては再興せず、主として商業都市として今日に至っている。なお、鉄鋼や自動車産業等の重工長大型産業の集積が進んだミッドランド地域(MGローバー等の拠点)も、1980年代には他国企業との競争力が低下し、工業地域からサービス産業の集積地へと地域の基幹産業構造を転換して今日に至っている。

■ルール工業地域(ドイツ)

19世紀初頭のドイツでは、炭田の存在とライン川を利用した物流の好条件を背景に、ルール地域に石炭産業・鉄鋼産業を中心とするヨーロッパ最大の工業集積が進んだ。しかし、19世紀後半に起きた第二次産業革命によりエネルギーの主役が石油や天然ガスに転換するとルール地域の工業力は衰退した。20世紀に入ると工業地域としての構造転換は図らず、脱工業化を掲げてサービス業に大きく業種をシフトする政策に舵を切った。今日のルール地域が属するノルトラインヴェストファーレン州の中心都市はデュッセルドルフ市で、世界各地の商社の支店が集積する貿易都市となっている。

■北イタリア工業地域(イタリア)

多くの伝統工芸を含む職人によって支えられた工業地域である北イタリア工業地域は、衣服や靴の分野でクオリティの高い製品を作り出すことで20世紀に入って世界的に名を馳せた。しかし、伝統を重んじる気質はグローバル化への対応に遅れをとる要因ともなり、20世紀半ばには多くの中小企業が淘汰された。一方、中心都市ミラノでは、アルマーニ、プラダ、グッチ、フェンディといった世界的ブランドとして成長した企業が多数あり、ファッション都市としての地位を築いている。また、自動車メーカーのフィアットの本拠地も存在し、ファッションと工業が混在する地域として今日に至っている。

■五大湖周辺工業地域(デトロイト:アメリカ)

デトロイトは、20世紀初頭に創業したビッグ3(下記)と呼ばれる米国大手自動車メーカーが揃って本拠地を置く自動車産業都市としてつとに有名である。

フォード社は、いち早く大量生産とアフターサービスを確立したフォード・モデルTが大成功したが、大量生産による安価供給に拘ったあまり多様化するニーズに対応できず、リンカーンやマスタングなどのヒット車種も送り出したものの国際競争力を維持する事に苦しんだ。幾度もの経営難に陥り2009年には最大の経営危機に直面したが、選択と集中を重ねて2010年以降に業績が好転した。

GMは第二次大戦前には米国最大シェアとなり戦後も世界最大の自動車メーカーとして君臨した。ビュイックやシボレーなど米国を象徴する車種を多数送り出したが、1970年代以降は国際競争に苦しみ、2009年に連邦倒産法の適用を申請して倒産し、国有化された。その後、再建に取り組み、2013年に国が保有する株式を売却して国有化が解消された。

クライスラーの創業はビッグ3の中では最も後発であったが、米国のモータリゼーションの波に乗って他の2社とともに成長した。しかし、欧州車や日本車が得意とした小型車マーケットで後塵を拝し、経営転換を模索した。1998年にダイムラー・ベンツ社(独)と合併してダイムラー・クライスラーとなったが2006年にクライスラー側が赤字を拡大し、2007年に合併を解消。2009年に連邦倒産法の適用を申請して倒産した。その後、フィアット社(伊)の完全子会社となり、フィアット・クライスラー・オートモービルとしてニューヨーク証券取引所に再上場した。

このように、自動車ビッグ3の発展と軌を一にしてデトロイトは発展したが、ビッグ3の経営状況が悪化すると労働者も苦しみ、犯罪が多発するなど都市も荒廃した。近年は、ビッグ3の経営再建とともに、自動車産業都市として、新たな発展を歩み始めている。

このように、蒸気機関の発明に端を発した第一次産業革命(19世紀初頭)で発展した工業地域は、1世紀を越えた永続的な繁栄は成しえなかった。それは、19世紀後半に起きた第二次産業革命に遭遇したところが大きい。この時、動力は電力へと転換し、主力燃料は石油へと置き変わるとともに、重工業を主力とする産業構造に転換したため埋没した(ランカシャー、ルール等)。また、第二次産業革命以降に発展した都市も、グローバル化の進展に伴う競争激化の波に翻弄され(北イタリア等)、中核企業の経営難とともに都市の荒廃などを経験している(デトロイト等)。中部の企業は、世界的に見れば創業は遅いものの、国際競争に打って出て発展の活路を見出してきた。そして、20世紀に入って工業界を席巻したオートメーション化は第三次産業革命と称されるが、この変革期においても中部の企業は一早く、そして効果的にこれを取り込み、世界市場での競争を勝ち抜いてきたのである。地域としては、誠に誇らしい限りである。

2.10年で移ろいでしまうモノづくり  -産業が空洞化しなかったこれまでの中部-

多くの日本企業が、第三次産業革命期を世界的優位の保持に繋げて躍進し、戦争被害による停滞をも乗り切って来た訳であるが、国内の先端的工業製品の歴史を見ると、移ろいも生じている。

図表7はTFT液晶の生産能力について国別シェアの推移を表している。1997年には世界の8割の生産能力(生産する「サイト=場所」の能力)が日本であったものが、2008年には台湾が8割の生産力を占める状況に変わった。

図表8はエアコンとVTRの状況を示している。エアコンでは1991年には日本が6割の生産能力を占めていたものが、2001年には中国が約6割を占めている。VTRでは1991年には日本が5割の生産能力を占めていたものが、2002年にはASEAN4ヵ国が5割を占めるように変わった。

このように、モノづくりにおいては、10年という期間は生産サイトが完全に移ろいでしまうに十分な期間であることが伺える。先頭を走る企業(トップメーカー)が競合により主客が転じて移ろうこともあるが、トップメーカーが変わっていなくとも、生産するサイトが移ろう場合もあり、生産サイトが移ろえば、その跡には産業が空洞化した地域が残される。

3.中部の凄さと今後  -モノづくり中部地の繁栄は世界記録更新への挑戦-

世界中の工業地域・都市の多くが、100年を超えて発展し続けることが出来ていない中で、中部地域は近代工業化以降120年に亘る発展を続けている。この間、第三次産業革命があり、第二次大戦による戦災があり、グローバル化の進展があり、幾度もの経済ショックや大規模災害があったが、全てを乗り越えてきて今日に至っている。これだけでも中部地域のモノづくり企業の凄さは十分に実感できる。

また、国内にあっては、生産サイトの移ろいで産業が空洞化した地域もある。先に見た電気・電子機械産業は、生産サイトが途上国へとシフトしたため、この憂き目にあった。電気・電子機械産業が基幹産業であった関西圏で多く見られた現象である。また、中部地域の中心である自動車産業の分野においても、例えば日産は国内向け大衆車の生産を海外に移して逆輸入して日本で販売している。このため、日産の拠点工場が多く存在した首都圏の各地にも産業の空洞化が生じた地域が存在した。

トヨタグループは、グローバル化の進展に伴い水平分業が進む中で、諸外国に現地生産・現地販売の拠点とネットワークを組み上げ、日本国内には国内向け製造拠点と海外向けマザー工場を残して業績拡大を遂げてきた。この経営方針によって、中部地域は100年以上をモノづくりと共に繁栄を続けてきていると言う見方も出来よう。

そして今、IoT、AI、ビッグデータといったデジタル技術の革新による第四次産業革命が勃発している。国内の自動車メーカーは、他国の自動車メーカーだけではなく、異業種(主として大規模なICT企業)とも競合しなければならない。自動運転化に対応するためだ。中部地域は総力を上げて応援したいところだ。これに向けて中部地域では、大学と企業の共同研究が活発化している。また、愛知県や名古屋市などもイノベーション支援策を重層的に展開中だ。社会実験も複数の地域で実施されている。このように地域の行政と大学が従来にも増して企業と連携する動きが活発化しているのは事実であるが、その内容と速度が十分であるかどうかは判然としない。筆者は、期待と不安を抱きつつ、固唾を飲んで見守っている。中部地域の更なる発展は、モノづくり地域として世界記録更新への挑戦なのだから。

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