東海北陸自動車道は、東海地域と北陸地域を結ぶ全線185kmの高速自動車国道で、名神高速道(一宮JCT)と北陸自動車道(小矢部砺波JCT)を結び、愛知県~岐阜県~富山県にわたって国土を横断している。岐阜県にとっては県土を縦断する高速道路として期待され、中部地域としては東海と北陸の連携による地域経済の活性化に期待がかけられた。2008年に迎えた全通時に、この東海北陸自動車道の経済効果を定量化する事が求められ、汗を流した当時を振り返る。
1.東海北陸自動車道の概要 -太平洋国土軸と日本海国土軸を結ぶ期待-
岐阜県は、国土の中央で中部地域の中央に位置する内陸県だが、高速道路の整備は意外に進まなかった。名神高速道路が西濃地域を通り、中央自動車道が東農地域を通っていたが、いずれも県土の端部を通過するに過ぎず、県央地域の道路交通は一般国道ネットワークに依存していた。
県土の南北軸には国道41号と156号が整備されているが、岐阜市から温泉地として名高い下呂市を経由して古都高山市に至るルートは41号線が主軸で、156号線は裏筋にあたった。いずれも風光明媚な地域だが峠道が多く、雨による川の増水や冬の積雪のため、交通障害を常に抱えていた。こうした中、東海北陸自動車道は、156号線側に計画された。
1966年に国土開発幹線自動車道の予定道路となり、1970年代に複数の部分区間に施工命令が発せられ、1980年代を中心に順次着工された。1986年に岐阜各務原IC~美濃ICで初めての開通(4車線)したのを皮切りに、1992年に福光IC~小矢部砺波JCT(2車線)、1994年に美濃IC~美並IC(2車線)、1997年に一宮木曽川IC~岐阜各務原IC(4車線)、郡上八幡IC~白鳥IC(2車線)、1998年に尾西IC~一宮JCT(4車線)、1999年に白鳥IC~荘川IC(2車線)が開通した。その後、2008年に飛騨清見IC~白川郷IC(2車線)が開通したことで全線開業となった。1980年に各務原トンネルでの起工式以来、28年の歳月をかけて全長185kmが全通したのである。但し、南部区間(一宮JCT~美並IC)は4車線で整備されたものの、県境を含む北部区間(美並IC~小矢部砺波JCT)は暫定2車線の整備であった。
2.東海経済と北陸経済の連携の姿を追って -連携需要の不透明さに愕然-
1995年に東海総合研究所(当時、現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に移籍した筆者は、東海北陸自動車道の部分開業が断続的に進む時代に遭遇した。1996年に最大の難所と目された飛騨トンネルが着工し、全線開通は時間の問題と期待が高まっていたことを肌で感じた。当時の期待とは、東海経済と北陸経済の連携による中部ブロック経済の活性化である。
国土交通省中部地方整備局と中日本高速道路株式会社(以下、NEXCO中日本)は、その効果を明らかにすべく、種々の調査を発注した。筆者も、東海・北陸両地域の経済連携の見通しと効果把握について調査を担当した。明らかに期待できたのは飛騨地域に分布する観光資源やスキー場への観光客の増加であったが、中部財界と北陸財界の産業間の取引拡大については不明瞭のまま期待が膨らんでいた。
データで見る限り、人口移動、旅客流動、物流、地域間交易などは、東海地域と北陸地域間に実績が少なく、どう大目に見ても両地域間に経済連携需要があるとは映らなかった。そこで、潜在している連携需要の発掘を求めて、両地域の各種業界に足を運んで聞き取り調査を行うこととした。
しかし、丹念に足を運んで聞き取りを重ねても、大きな潜在需要は出てこない。北陸地域の主要産品は鮮魚とアルミであるが、ここに期待の声が出てくる気配がないのである。富山湾から水揚げされるブリが名古屋の鮮魚市場に出回る期待を探索したが、北陸側では運賃が高まる高速道路を利用したくないという声が強い。「名古屋の市場に間に合わせるためには下道でも深夜に出荷すれば間に合うから」というのだ。一方、アルミはトヨタホームの住宅建材への納入に北陸側の期待があったが、既にトヨタ側はアルミ製造を行うグループ会社を北陸に確保しており、ここに割って入る新たな取引が発生する可能性は低いと見られた。そして、北陸地域の財界は、中部財界よりも関西財界とのつながりが深く、東海北陸自動車道が全通しても関西財界との取引が主体であることに変化はないだろうという見方が支配的であった。
また、日本海側の港湾拠点として機能強化が進められていた伏木富山港と名古屋港の連携についても期待が強かったが、物流需要の実態は掴めない。ボリュームの大きい中部側の物流に対して北陸側の物流ロットは小さく、大型トラックを満載する往復需要が見込めないことから、物流業界からも前のめりの姿勢は見られなかった。何度も中部財界と北陸財界に足を運びながら、「東海北陸自動車道への期待の実態とは一体何なのか」と自問自答を繰り返したことを思い出す。
そんな時、2005年頃だと思うが、飛騨トンネル(全長10,715kmの国内3位の長大トンネル)の工事現場を視察する機会を得た。NEXCO中日本の計らいで、大成建設をメインとするJVの工事現場を訪ねた際は、難工事を完遂しようとする土木技術者たちの使命感が伝わって来た。工事は難航を極めており、先進抗の工事ではTBM(Tunnel Boring Machine)が高い土圧により圧壊されて修復不能となり、貫通まで残り310mの地点で埋め残すしかなくなっていた。TBMのデータを活かしてNATM(New Austrian Tunnel Method)工法に切り替えて進められた本坑工事でも、危険な状態を繰り返し乗り越えながら貫通を目指していた。その後、苦節を重ねて本坑が貫通するのであるが、貫通直後にNATMも土砂に埋もれて山中に残された。2007年完成を目指した工事は遅れたが、2008年に飛騨トンネルは完成し、最後の区間(飛騨清見IC~白川郷)が開通して東海北陸自動車道の全通に繋がったのである。
この工事現場視察は、聞き取り調査で限界を感じていた筆者らに対し、見通せていない開通効果の把握を諦めてはならないという鼓舞を与えてくれた。
3.経済効果の定量化に挑む -応用一般均衡モデルの国内初適用にチャレンジ-
国土交通省中部地方整備局では、東海北陸自動車道の経済効果を可能な限り漏れなく定量的に計測する事を求めていた。従来の計測手法では、部分的な経済効果を計測して積み上げる手法が採用されていたが、我々は様々な経済主体が新たな繋がりを連鎖する事態を予測して定量化する計測手法(応用一般均衡モデル:以下、SCGEモデル)を提案した。経済学の世界では学術理論として確立されていたが、社会資本整備プロジェクトでの適用は例がなかった。
当時、これを提案できたのは、応用一般均衡モデルの研究第一人者であった宮城教授が岐阜大学に存在し、その指導を受けた卒業生が仲間にいたからである。この経済モデルは、時間短縮によって取引コストが効率化されることにより取引主体の関係が変化し、その結果として新たな経済均衡が生まれることを数量化するものである。限界を感じながらも足で拾っていた経済効果の糸口を踏まえ、モデル構築に活かしながら従来の取引(主体や地域)が変化する事を数理的に再現する事に挑んだ。
SCGEモデルの最大の特徴は、部分均衡ではなく一般均衡を表現する事から、論理的には経済効果を漏れなく計測する事が出来、経済効果の内訳を地域別・業種別に算出できることだ。多くの関係者の努力によって取り組まれながらも、実態が不明瞭であった東海北陸自動車道の経済効果を定量化する事に、我々も使命感にかられていた。結果的に、先行した効果計測例よりも大きな経済効果が把握され、何より喜ばれたのは、岐阜県の沿線地域に帰着する経済効果が数値化された事であった。以後、我々は東海環状自動車道、三遠南信自動車道、新東名高速道路、新名神高速道路、名古屋第二環状自動車道(名二環)、リニア中央新幹線などでSCGEモデルを改良しながら適用していくこととなる。
現在、東海北陸自動車道は、全線4車線化に取り組まれている。最大の難関は、飛騨トンネルの4車線化だ。これを推進する力が生まれているのは、東海北陸自動車道の全通がもたらした効果が予想以上に大きかったことと、その後に起きた大規模地震災害によって、太平洋側と日本海側を繋ぐ高規格道路の必要性認識が高まったことによる。行政、土木技術者、経済界が汗を流した東海北陸自動車道は、国土に不可欠な路線として再認識されている。飛騨トンネルの地中に眠るTBMやNATMも、目を細めているに違いない。