Vol.144 名古屋都市センター歴史まちづくりシリーズ⑥「公園の歴史」  -名古屋初の公園「浪越公園」の誕生と廃止-

名古屋都市センターによる2023年度歴史まちづくり連続講座「公園の歴史」が開催された。講師は名古屋市役所OBで都市計画史に詳しい青木公彦さん。公園・緑地制度の変遷を踏まえ、名古屋揺籃期の公園の歴史を紐解く回に参加した。名古屋市内に初めて整備された公園は浪越公園だが、その後に廃止されて今は那古野山古墳公園として小さく残るのみ。浪越公園の名前は消えている。一方、名古屋市が第1号公園として整備したのは鶴舞公園で、今も名古屋を代表する公園として健在だ。一見不可解な公園の歴史が解き明かされた。

1.公園緑地制度の変遷  -所管官庁は大蔵省にはじまり内務省へ-

近代以降の日本における公園制度のはじまりは、明治政府による1873年(明治6年)の「太政官布達16号(群衆遊覧の地に公園を設けるの件)」に端を発するという。この時、いわゆる太政官制公園が生まれるわけだが、その背景には廃藩置県で召し上げた公有地のうち、税金も取れずに困っていた城郭地や社寺地の管理方策として公園を整備し、府県に管理させることを明治政府(大蔵省)が企図したようだ。

この制度に則り、愛知県が管理する公園として小牧公園(1873年)、岡崎公園(1875年)などが先行して設置され、続いて1878年(明治11年)に浪越公園が名古屋市内に整備された。この浪越公園が名古屋市内に制度的に整備された記念すべき第1号公園で、大須観音の東側に位置していた。

公園制度の原点である太政官布達による公園は大蔵省所管であったが、1895年(明治28年)に「内務省訓令832号(公園地内の社持仏堂境内区域更生の件)」が発出されて公園制度は内務省に移管されることとなり、これに従って1901年(明治34年)に整備された名古屋市内の第2号公園が中村公園(当時県管理)である。

名古屋市に市制が施行されたのは1889年(明治22年)であったが、この時点では公園管理者は府県(当時の東京は府であった)であって市町村ではなかった。1906年(明治39年)に発せられた内務省訓令712号によって公園の設置に内務省の許可が不要となり、府県および市町村による設置が可能となったことを受け、名古屋市は市政に基づく第1号公園として鶴舞公園(市管理)を設置した(1909年)。依頼、鶴舞公園は名古屋市における初号公園として大切に管理され、100年を越えて今日まで市民に親しまれている(vol.20、52、118ご参照)。浪越公園(県管理)は、鶴舞公園の整備に伴い廃止された。今は、大幅に規模が縮小された那古野山古墳公園として大須のビル群の中にひっそりと現存している。

1919年(大正8年)に都市計画法が制定されると、都市計画道路や都市計画公園として都市施設が整備されていくことになる。名古屋市では1926年(大正15年)に都市計画公園24か所を定め、順次整備していくことを決定した。但し、この段階では都市計画に関する具体的な基準は定められておらず、1933年(昭和8年)の内務省次官通達による都市計画標準がその後の都市計画の基準として運用されていくこととなる。土地区画整理事業で公園を3%とする基準もこの時に定められた。

都市計画制度として公園を含む基準が定められた後、1936年(昭和11年)に愛知県風致地区取締規則が制定され、1939年(昭和14年)に名古屋市都市計画風致地区が決定し、風致地区によって自然や緑地を保全する制度が生まれた。そして、1940年(昭和15年)には都市計画法の改正によって公園内の建築制限が設けられるとともに防空緑地、都市計画緑地が追加され、都市計画の中に緑地という概念が組み込まれた。こうして、公園、緑地、風致地区という緑の構成が都市の中に出来上がったのである。1956年(昭和31年)に都市公園法が制定されると、名古屋市は同法に基づいて都市計画公園を改めて決定(31か所、880ha)し、今日へと引き継がれている。

2.名古屋市内初の公園「浪越公園」の誕生と廃止   -現在の那古野山古墳公園-

太政官制公園の適用条件は太政官布達第16号に記載されており、『「大都市などの市街地」において、「民衆が遊びに集まる場所」を対象に「楽しむ場所」として公園を整備したい場合は、「府県が申し出」をすることにより「大蔵省が決定」する』という定めであった。

当時の名古屋区(市政施行前)の大須は、大須観音に多くの参拝客が来訪するとともに、1876年(明治9年)に開業した旭廓(あさひくるわ=名古屋最大の遊郭)が大須観音の背後にあったため、大須は「民衆が遊びに集まる場所」の代表であった。そして、大須観音の東側にあった清寿院(修験道の禅寺)は境内に芝居小屋もある大きな寺社であったが国によりつぶされて荒れ果てていたため、ここを「楽しむ場所」として太政官制公園の対象にしようと愛知県が申請したと考えられており、これが浪越公園誕生(1878年)へとつながった。

浪越公園の面積は約8,160㎡と大規模なもので、東側は門前町通(現在の本町通)に面し、南側は仁王門通りに、西側は大須観音に接していた。当時の大須は、大須観音に五重塔が、七ツ寺には三重塔があってランドマークが整い(これらは現存していない)、多数の飲食店や置屋も立地する参拝と歓楽の街であったと思われる。浪越公園は、その中心にあって多くの人々が立ち寄り休息したに違いない。

しかし、旭廓は風紀上よろしくない施設との評判が立ち、県議会でも大須をそのままにしておくべきではないとの議論が立ち上ったようだ。そうした中、内務省訓令712号に基づいて名古屋市が整備・管理する初号公園として鶴舞公園が設置(1909年)されると、浪越公園は県議会が廃止を決定した。廃止に伴い、その一部(約900㎡)が名古屋市に移管された他は、近隣の神社(現、富士浅間神社など)と民間に払い下げされることとなった。名古屋市に移管された約900㎡が現在の那古野山古墳公園(大須演芸場前に位置)としてひっそりと佇んでいる。「風紀ある公園は鶴舞公園に任せば良いから浪越公園は廃止しよう」という愛知県議会の思惑が働いたように思える。

このように、行政が整備する公園が制度化されたのは明治の初期であったが、公園・緑地の制度の成熟には時間を要し、その後も制度的変遷が約80年(太政官布達から都市公園法まで)にわたり続いたことが分かる。制度変遷の過程で浪越公園は誕生して廃止され、鶴舞公園を初号とする都市計画公園などが名古屋の緑を彩りオープンスペースとなって現在に至っているが、太政官布達が企図した公園の役割は、都市公園法の改正(2017年)にも息づいているように思われる。

3.近年の公園制度の潮流   -賑わい創出空間、マネージメントが鍵に-

都市公園は、都市環境の改善や市民の憩いの場を形成することを目的としており、多様な世代の人々が自然とふれあい、レクリエーション活動、健康活動、文化活動等の多様な活動の拠点となることが都市公園法で規定されている。この趣旨は、太政官制公園の主旨(民衆が楽しむ場所)と大きく変わりはない。しかし、現実的には公園管理者としての行政が緊縮財政の中で管理してきた結果、高木が生い茂って見通しが悪くなっていたり、遊具が腐化して利用者がいなくなったり、花壇に四季の花が咲き誇ることが少なくなったりして、都市空間に緑とオープンスペースを提供してはいるものの、「あるだけ」になっている公園も少なくなくなった。

こうした現状を鑑み、2017年(平成29年)に改正された都市公園法では、「市民に使われてこその公園」とすべく、賑わいを創出する空間として活用することが企図された。民間の優良な投資を誘導して管理者の財政負担を軽減しつつ、公園の質や利便性を向上させることを狙いとしてPark-PFI(公募設置管理制度)を創設し、公園の中に収益施設を導入させ、公園の維持管理も同時に行わせることができるように改正した。具体的には、設置管理許可(収益施設等)の期間を10年から20年に延長し、建蔽率を2%から12%に緩和し、駐輪場や看板等を占有物として設置可能とする制度としたのである。以来、全国で導入事例が増え続けており、多くの公園内に誕生したカフェなどが賑わい創出に貢献している。

太政官布達が「市民が楽しむ場所」と公園を規定したように、現代の公園を賑わい空間として活用しようとする意図には相通ずるものがある。加えて現代では、環境要素としての公園の役割を重視するとともに、民間による維持管理手法を導入することで公園のマネジメントを費用効率よく実践することが重視されるようになった。公共空間はマネジメントの時代に入ったのである。

浪越公園に代わって名古屋市初号公園となった鶴舞公園にもPark-PFIが導入されて飲食施設などが多数整備された。これに先んじて、久屋大通公園もPark-PFIによって賑わい空間として再生された。今後は、これらの民活導入された公園が、時の経過とともに魅力を維持すべくマネジメントされていくかどうかが新しい制度の定着に向けた鍵となろう。公園は「使われてなんぼ」の時代だ。魅力の維持向上を民活の成果として実感できる時を期待したい。

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