Vol.114 熱田・宮宿の旧旅籠屋「伊勢久」の奇跡  -名古屋まちづくり公社と㈱蓬莱陣屋が開いた保存活用への道-

名古屋市熱田区にある「七里の渡し」の前面には、江戸期に東海道最大の宿場町として栄えた「宮宿」があった。宮宿に軒を連ねた旧旅籠屋「伊勢久」は、唯一残されている遺構で名古屋市指定文化財に指定されているが、種々の問題が重なり保存活用に暗雲が迫っていた。この程、奇跡的なめぐり合わせと関係者の努力により保存活用の道が開けた。名古屋市における歴史まちづくりに残る素晴らしい実績となった「伊勢久」の奇跡を、名古屋都市センター機関誌アーバンアドバンスNo.79(山内正照参事寄稿文)を基に概要を紹介したい。

1.東海道五十三次最大の宿場「宮宿」  -熱田神宮の門前町、浜御殿、七里の渡し-

宮宿(熱田宿とも呼ばれる)は、名古屋市熱田神宮に隣接して立地した東海道五十三次の41番目の宿場で、浮世絵などでも数多く描かれている。宮宿は東海道から佐屋街道や美濃路への分岐点でもあり、東海道唯一の海路となる七里の渡しの東の拠点でもあった事などから交通の要衝で、東海道随一の宿場として栄えたと伝えられている。

一般的に、主要街道の宿場には本陣という身分の高い者(大名や旗本など)たちが逗留するための宿泊施設があったのだが、宮宿には本陣が2軒あり、脇本陣(本陣の予備施設=本陣で足りない場合などに利用した)も1軒あった。その上で旅籠屋が248軒集積し、その数は東海道最大であったという。さらに、宮宿は熱田神宮の門前町でもあって多くの参拝客が来訪したし、熱田湊から水揚げされる魚介を扱う魚市場も立地していたことから、当時としては大変な賑わいがあったようである。

また、尾張藩の初代藩主の徳川義直は、三代将軍徳川家光が京都に上洛する際の逗留場所として宮宿に浜御殿(東浜御殿)の建立を命じ、七里の渡しの東側を埋め立てて出島のような敷地に御殿を立てて家光を迎えた。東浜御殿は将軍専用とされた一方で、参勤交代などで往来する大名を招待・供応する宿泊施設として西浜御殿も別に整備された。これらの浜御殿は雅を極めたと伝えられている。このように、宮宿は将軍から大名、藩士、庶民に至るまでが逗留する総合宿泊拠点となっていたのである。

これほどの宿場町であったものの、残念ながら現存する施設はほとんどない。東西の浜御殿はいずれも姿形がなく、七里の渡しには常夜灯と鐘楼が佇む史跡公園となっているが訪れる人は少ない。そして、軒を連ねた旅籠屋の面影はなく、唯一往時を偲ぶ遺構として残っているのが旧旅籠屋「伊勢久」なのである。

2.旧旅籠屋「伊勢久」とは  -宮宿の面影を残す唯一の遺構-

尾張名所図会(おわりめいしょずえ)という地誌があり、尾張国八郡の名所を描いた豊富な挿絵とともに残されている。江戸末期1838年~1841年の間に執筆されたされたものだが、その挿絵は当時の尾張地域を思い描く上で貴重な歴史資料となっている。その中に七里の渡しと宮宿の模様を描いたものがある(図表2)。常夜灯や浜鳥居とともに旅籠屋が立ち並ぶ様子が描かれているが、旅籠屋の中には唐破風屋根やうだつを構える建物も描かれており、これが「伊勢久」であろうと考えられている。

伊勢久は名古屋市指定文化財に指定(1984年)されており、指定に際しての資料には19世紀前半に創建されたとされ、尾張名所図会の時代と一致する。代々の当主は「伊勢屋久兵衛門」を名乗ったことから伊勢久の屋号がついたという。長府(山口)、大村(長崎)、土州(高知)などの家紋入りの提灯箱が残されていることから、これらの藩が定宿として利用していた脇本陣格の旅籠屋であったと考えられている。

明治維新後は参勤交代が廃止されたことで旅籠は廃業となったが、大正時代までは伊勢久旅館として営業していた。その後、戦前には下宿屋に転業したり、戦時中は愛知時計電機(株)の男子寮としても使用され、戦後は被災した小学校の臨時教室などとしても使用されたという。この間、所有者は移り変わり昭和14年に丹羽家の所有となり、昭和41年に大規模改修されて貸室やアパート、自宅として利用されてきた。こうした変遷の中で間取りや階段の位置などが変更されるなど、創建時からは大きく改変されているのだが、特徴のある正面(南側)の外観は尾張名所図会の面影を残している。

3.奇跡的なめぐりあわせで保存活用に開けた道  -(株)蓬莱陣屋が飲食店として活用-

旧旅籠屋「伊勢久」は、丹羽家の代替わりに際して相続人から名古屋市文化財保護室に相談の連絡があった事で存続問題が表面化した。相談の内容は、老朽化が著しいため維持・改修が難しいが、先代が守ってきた文化財であり、市民の財産でもあるので名古屋市で取得する等の対応を検討してほしいという旨だったという。

しかし、名古屋市は文化財保護に当たり、所有者への技術的・経済的支援を行うことを基本とするので、よほどの事がない限り文化財を取得することはない。そこで、新たに伊勢久を所有して建物を利用しながら保存できる人を探すこととなった。一般的に、そうした人が見つかることは稀なのだが、名古屋市歴史まちづくり推進室が手を尽くしたところ、(株)蓬莱陣屋が関心を示したことで保存活用への道に光明が差すこととなった。(株)蓬莱陣屋と言えば「うなぎの蓬莱軒」であり、名古屋メシの代表格である「ひつまぶし」のブランドリーダーであるとともに、七里の渡し周辺地域のまちづくりについても理解が深く積極的に取り組んでいる企業であるため、誠に良いめぐり合わせである。

そして、名古屋市が丹羽家の意向を尊重しながら協議を重ねた結果、丹羽家から一旦は名古屋まちづくり公社(以下、公社)が土地建物を取得(H30)し、公社によって移築・改修を行った後に(株)蓬莱陣屋に譲渡するという段取りで合意に至り、覚書が締結(R1)された。(株)蓬莱陣屋は、移築・改修された伊勢久で飲食事業を行う計画である。

移築・改修を行うことになったのは、老朽化が著しいことに加えて、創建時と間取りやファサードなどが大きく改変されている事、一部に敷地境の越境がある事などから、そのまま保存することが難しいと判断されたからだ。まずは公社が取得して綿密な調査を行い、推定復元図を作成して創建時の状態を図面上に再現した上で、文化財を活用した飲食店として利用できるよう変更計画を策定することとなった。公社の公益性と技術力を生かすことによって、新しい所有者となる(株)蓬莱陣屋に引き渡すまでに、保存活用できる状態を作り上げるという手法がとられたのである。

現在は、現況調査から変更計画作成までの作業が終わって解体が行われており(2023.4時点)、この後、公社が策定した計画に従ってほぼ現在の位置(移設距離は敷地境の越境をクリアするためにほんのわずか)に復元工事が実施される。2025(R7)年度には、宮宿の旧旅籠屋「伊勢久」を再現した店舗の中で、ひつまぶしを賞味できるようになるだろう。

4.「伊勢久」保存活用の意義  -名古屋のシビックプライド醸成の一助に-

こうして、名古屋市が行司役となり、公社が可能な限りの復元に道筋をつけ、(株)蓬莱陣屋が新たな所有者となって保存活用することになった。それぞれの立場から建設的に連携し、保存活用の道を開いたのであるから、筆者は関係者の努力に喝采を送りたい。

名古屋城から熱田神宮に至るエリアは名古屋市のルーツともいえる歴史的エリアである。しかし、熱田エリアは熱田神宮と蓬莱陣屋はあるものの宮宿の名残はほとんどなく、七里の渡し跡に足を運ぶ人は少ない。今後は、東海道五十三次最大の宿場があった事を、復元された旧旅籠屋「伊勢久」で美味しい名古屋メシを食べながら語られる機会が増えることになろう。名古屋の歴史に根差した名所が新たに生まれることを心から歓迎したい。

全国各地には、歴史資源がシビックプライドの核となっている街が多い。残念ながら名古屋市は豊富な歴史資源がありながら戦災で多くを失い、歴史の街としての実感を多くの市民は持っていない。だからこそ、旧旅籠屋「伊勢久」の保全活用の道が開けたことは、名古屋のシビックプライドを歴史まちづくりから醸成する貴重な足跡と言って良いだろう。名古屋城エリアと熱田エリアが歴史資源を核にして発信力を高めることが、名古屋のブランド性を高めていくことと期待したい。

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