Vol.187 名古屋市における本社移転誘致策の実効性を探る  -補助金政策の経済合理性-

名古屋市の産業構造は東京に比して付加価値創出力が低く、これが若者たちの東京への流出へと繋がっている。現状の産業構造を変革するためには、機能と業種の観点から付加価値創出力を高めるターゲットを定め、その集積誘導を図る必要がある。機能で言えば本社機能の誘致が有効で、これが促されれば20~40歳代の活躍機会が増進し、その家計消費などが市経済の活性化に寄与する。本稿では、本社機能の集積誘導を図るための施策として補助金政策を取り上げ、その実効性を探りたい。

1.オフィスビル建設補助金の実効性検証  -税収還元とビル事業利回りから見た実効性-

東京都特別区に立地する本社を名古屋市へ移転誘導するために、名古屋都心部に不足するオフィスビルの建設促進を企図した補助金の実効性を検証してみたい。ここでは、建設費の20%を補助する(1/5補助)と仮置きして検討する(図表1)。

例えば、延べ床面積が約1ha(図表1では10,500㎡)のオフィスビルの場合、建設単価を220万円/坪(2024年9月段階の実勢)とすれば建設費70億円を要するから、20%の建設補助金であれば名古屋市は14億円を支出する事となる。この場合について、名古屋市にとっての投資回収性とビル事業者にとっての利回りへ向上効果を試算した。

名古屋市にとっては、建設費を補助する事で新たな民間オフィスビルが生まれるので、固定資産税の増収を得る事となる。建設費70億円のビルの場合、名古屋市分の固定資産税額は年額6,860万円となり、これが新たな税収となる。この税収は、補助額14億円を20.4年で回収する原資となり21年目からは純粋な増収となるから、名古屋市としては堅実に投資回収可能な補助金と見る事ができるだろう。

次に、ビル事業者側に立って考えてみたい。延べ床面積10,500㎡のオフィスビルを家賃3万円/月坪(名駅東口付近の賃料相場)で貸し付ける(貸付有効面積6,825㎡、稼働率90%)とすると、年間賃料収入は6.7億円となる。これは、建設費70億円の投資に対して9.31%の利回りに相当する。但し、このビル事業者は建設費の20%分の補助を受けるから実質の建設費は56億円となるため、補助金後の投資利回りは11.56%となる。ここで言う投資利回りは単純利回りであって、実際にはビル事業に伴う維持管理・修繕費や人件費、火災保険料などの諸経費が発生するため、純粋な不動産投資利回りとは別物であるが、確認したいのは9.31%が11.56%となるため2.25%の利回り押上げ効果があるという点だ。

つまり、名古屋市にとっては堅実な投資回収と長期的な固定資産税増収が見込め、ビル事業者にとっては事業意欲を喚起することが見込めるため、win-winの効果が見込めるという事だ。この補助制度を、リニア開業から10年間実施すると決めれば、その10年間を狙ってオフィスビルの建設が促進されることが期待でき、そうしたオフィスビルが東京から移転する本社企業の受け皿となり得るから、名古屋市における本社機能の集積促進に資する施策として有効と考えて良いだろう。

2.本社企業への家賃補助の実効性検証   -家計消費が生む経済効果による投資効果-

一方、建設されたオフィスに移転入居する本社企業側に立って考えてみたい。3万円/月坪の家賃は、2024年9月時点で名古屋市のトップレベルの賃料水準で、東京都港区のオフィスビルと比肩する水準だ。これを踏まえ、移転入居後5年間を対象に50%のオフィス家賃を名古屋市が補助すると仮置きして検証する(図表2)。

家賃補助を受けて入居する本社企業が負担する家賃は1.5万円/月坪となるから、東京都港区の賃料相場よりも格段に安くなる。仮に100人が従事する本社のオフィス規模を想定すれば、年額で63百万円(5年間で総額315百万円)の固定費が縮減する事となるから相当のメリットとなり、移転先として効果的なインセンティブ付与と言えるだろう。

次に、名古屋市経済への効果を考えてみたい。100人の本社従業員が東京から移転して来るとして100世帯の増加があると置いてみる。名古屋市における1か月間の平均的な世帯当たり消費支出は218千円(全国家計構造調査2019名古屋市分による)だから、名古屋市経済としては年間261百万円の家計消費が増加する事となる。この新規の消費需要は、様々な産業連関によって経済波及効果をもたらすため、これを計算すると366百万円/年の経済効果が得られると見込まれる(H27名古屋市産業連関表による)。つまり、名古屋市は63百万円の家賃補助によって366百万円の経済効果を得るのだから、十分な投資効果が見込める補助政策と見て良いだろう。

また、366百万円/年の経済効果から生まれる名古屋市の税収効果(税収増分)は14.6百万円/年と見込まれ、これは5年間の家賃補助総額315百万円の歳出を21.5年で回収できる税収増に相当するから、税源涵養の観点から見ても長期的投資として有効と捉えて良いだろう。ここでは試算に入れていないが、実際には市内で住宅投資など新たな需要が同時並行的に生まれ、その経済波及効果も別途発現するから、名古屋市の財政基盤とGRPの拡大に着実に寄与する投資となるはずだ。

このように、リニア開業を見込んで名古屋市に東京から本社移転を誘致するための政策的な補助投資を想起する場合、「ビル建設補助金」と「オフィス家賃補助」はいずれも概ね20年程度で回収可能であり、ビル事業者にとっても、移転企業にとっても、名古屋市にとってもメリットのある政策として奏功する可能性が高いと検証結果は示唆している。

3.名古屋市の持続的成長に向けた都市経営シナリオ   -アウトカムは若者流出抑止-

名古屋市は人口230万人の大都市だが、その人口動態はいくつもの課題を含んでいる。自然減は拡大の一途を辿り社会増で補えなくなる事、名古屋市の社会増は外国人によるもので日本人に限れば社会減である事、20~30歳代の東京への転出超過が大きく40歳代では近隣市に流出が多い事などだ。

このような状況にあるため、今後名古屋市の人口は減少へと転じることが確実で、その先には家計消費の消失があり、名古屋市経済の縮退が待っている。名古屋市が持続的に発展するためには若者の流出超過を抑止し、名古屋市で子育てする世帯を増やす事が極めて重要だが、今のところ有効な打ち手はない。但し、リニアが開業すると潮目が変わり得ると筆者は見ている。

若者が東京に吸い出される主因は名古屋市の産業構造にあり、付加価値創出力が東京に比して低いために若者は東京に引き寄せられている(vol.154ご参照)。付加価値創出力を上げるためには産業の機能と業種で考える必要があり、機能では本社機能の集積強化を図る事、業種では高付加価値業種の集積強化が有効だ。本社機能は付加価値創出力が高く20~40歳代の活躍機会となり、ICT産業に代表される高付加価値業種は就職・転職期の若者の受け皿となって名古屋市経済に活力をもたらすため、これらにターゲットを当てた都市経営を展開したいところだ。

そこで、リニアが開業すると名古屋市の立地条件が格段に向上するため、この機に有効な打ち手を講ずる事が得策だ。持続的成長に向けた課題克服のアウトカムは若者の流出抑止であり、そのために有効な戦略は東京からの本社移転の誘致であり、本稿で扱ったオフィスの「ビル建設補助金」と本社機能に対する「オフィス家賃補助」はその戦術となるのである。リニア開業までに少なくとも10年の猶予があり、この間を有効に活用して検討を深めていくためには、効果の見込める対策について検証を伴った論議が有益だ。

リニア開業後の名古屋市が、東京のオフィス需要を取り込む打ち手を講ずればディベロッパーの投資意欲を喚起し、東京の高コスト下の経営環境よりも名古屋の経営環境に経済合理性があれば本社機能は移転意欲を高める。そして、そのために必要な政策コストが名古屋市にとって有意義な効果をもたらすのであれば勇躍して取り組むべきだ。

リニア開業に向けて政策のアウトカムを設定し、その実現に向けた戦略を体系的に構築するとともに、実効性を伴う戦術を立案する議論が本格点火する事を期待したい。

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