愛知県豊橋市は、「多目的屋内施設及び豊橋公園東側エリア整備・運営事業」の事業者として「TOYOHASI Next Parkグループ」と契約締結(2024.9)したばかりだが、2024.11.10に投開票が行われた市長選では、この契約の解除を公約に掲げた長坂氏が現職らを破って初当選した。一丁目一番地の公約である契約解除の実施が目前に迫る事態になったが、本当に契約解除が市民にとって最良の選択なのか筆者は強い疑問を抱いている。事業者選定の審査に当たった立場から、その理由を明示しておきたい。
1.本事業の経緯 -紆余曲折の末に辿り着いた民間企業からの秀逸提案-
人口減少が進展する愛知県東三河地域では、地域振興に寄与する政策が求められている。先々代の佐原市長は、新たな賑わいを創出するとともにスポーツ・文化活動の活性化を促す拠点として豊橋公園に新たなアリーナを建設する考えを示し、ゼビオ(スポーツ小売企業)との連携による整備を模索したが座礁した。その理由は、豊橋公園を立地場所とする検討経緯と連携企業選定理由などについて市民から疑義の声が上がった点が大きい。
その後、先代の浅井市長が「白紙からの検討」を掲げて当選し、立地選定などを検討した結果、改めて「豊橋公園が最適」との結論に至り、PFI手法(コンセッション方式混合型)で事業化される事となった。この間、一部の市民からは反対の声が再度上がり、事業中止の住民投票を求める運動が展開されたが、反対署名は伸びずに議会で退けられ、PFI事業者の公募・選定へと進展した。筆者は、PFI事業者選定委員会の委員長を仰せつかり、反対した市民の声の中に根強かった交通集中による住宅市街地への影響を最小限化する事に細心の注意を払いながら、募集条件の検討と応募提案の審査に臨んだのである(vol.178ご参照)。
選定された応募者「TOYOHASI Next Parkグループ」の提案は、いくつかの理由で秀逸と判断された。しかし、2024.11.10に投開票が行われた市長選挙では、反対運動の中心にいた長坂候補が「即刻に契約解除」を一丁目一番地の公約に掲げ、初当選を果たしたのである。本稿を執筆している2024.11.16時点では、新市長の初登庁前であるため契約解除は発動されていないが、筆頭公約であった事を踏まえれば契約解除へと踏み切る可能性が高い。豊橋市の新アリーナは、良質な民間提案が採択されたにも関わらず風前の灯火となったのである。
2.契約解除で直面する「4つの機会損失と1つの壁」 -市民にもたらされる不便益-
審査に携わった筆者は、採択された提案に秀逸な点があった事を知っているし、PFI事業にも長らく携わっているため、その知見から契約解除がもたらす豊橋市民への不便益を客観的に申し述べておきたい。それは、4つの機会損失と1つの壁の問題だ。
第一の機会損失は、提案者が独立採算で運営する事を提案した点にある。新アリーナ建設と豊橋公園の機能更新に係る整備費(イニシャルコスト)は割賦などを利用して豊橋市が負担する必要があるが、供用開始後の維持管理運営費(ランニングコスト)は新アリーナの収益によって賄えると応募者から提案されたのである。事前の検討では、維持管理運営費の一部を豊橋市が負担する必要があると想定していたため、提案によれば豊橋市の費用負担が大きく縮減する事となる。この様な提案は誰でもできるものではなく、応募者が愛知県のIGアリーナ整備運営事業の事業者であることを背景としたノウハウに基づくものであった。維持管理費の市負担がゼロで運営される公共サービス機会を放棄するのは機会損失以外の何物でもなかろう。
第二の機会損失は、愛知県IGアリーナで開催される大規模イベントのサテライト会場として運用する提案であった事だ。2026年に開業するIGアリーナは、最大17,000人を収容可能な国内屈指の拠点的アリーナで、スポーツイベントも音楽イベントも国内外1級のコンテンツで開催されることが計画されている。こうした大規模イベントのサテライト会場として利用すると提案されているため、豊橋市民をはじめとして東三河地域の人々は、IGアリーナに行かずとも豊橋市の新アリーナで大型ビジョンを通して臨場感あるイベント参加が可能になるのである。こうした機会を放棄する事も、大きな機会損失ではなかろうか。
第三の機会損失は、豊橋公園の機能更新に伴う再整備機会の逸失である。豊橋公園は、旧吉田城の城址公園であり、豊橋市のルーツとなる場所である。しかし、諸施設は老朽化しており、多世代の市民が多目的に利用できる環境は必ずしも十分とは言えない状況だ。新アリーナプロジェクトには豊橋公園の東側エリアの再整備事業も含まれ、提案にはランニングコースや多目的広場、遊具のある子供広場、アリーナに続く芝生広場など、多様な利用シーンを想定した公園空間の構築が提案されていた。これを放棄する事も、住み良い都市を目指す豊橋市としては大きな機会損失と言って良いだろう。
第四の機会損失は、豊橋市をホームタウンとする三遠ネオフェニックスにとってのホームアリーナの消失である。プロバスケットボールチームとしてB1リーグで活躍する三遠ネオフェニックスは、現在は豊橋市総合体育館を拠点に試合を行っているが、この体育館はB1リーグのレギュレーションを満たしていないため(5,000席は確保できるもののトイレなどの諸室で基準を満たしていない)、新たなホームアリーナを確保する事がB1リーグで活躍を続ける必須条件となっていた。そのため、新アリーナが建設されなければ、B1資格を失う事となり、豊橋市民はプロスポーツと触れ合う機会を失う事となってしまう。
これらの4つの機会損失に加えて、契約解除には大きな壁が立ちはだかる。PFI事業契約では片方が契約解除を申し出た場合、相手方は違約金を請求する事ができる。市側の理由による契約解除は、PFI事業者にとって市に対する違約金請求の対象となるため、市はこれを予算化しなければならない。しかし、豊橋市議会の最大会派である自民党市議団は、これまで新アリーナプロジェクトを支持してきたのであるから、新市長が提案する違約金の予算案を拒む可能性がある。予算が議決されなければ違約金を払えないから、時間が経過するとともに違約金が大きくなる恐れがあり、事態は隘路に入って立ち往生する可能性が高い。
こうした「4つの機会損失と1つの壁」がある事で、豊橋市民には明らかな不便益がもたらされると考えられるのだ。この点を、新市長にも豊橋市民にも冷静に受け止めてもらいたいと願う次第だ。
3.民意に照らした判断を -市民の真意を把握する努力が必要-
先の市長選では、現職市長の浅井氏の対立候補として長坂氏が立候補した他、自民党会派の市議であった近藤氏なども立候補した。投開票の結果は長坂氏が45,491票、浅井氏が41,094票、近藤氏が36,079票となり長坂氏が新市長に当選した。但し、浅井氏と近藤氏は共に新アリーナ建設推進を表明していたため、落選した二人の候補の合計得票数は77,173票で、長坂候補の得票数の1.7倍に相当する。このため、新アリーナ整備運営事業の契約解除が大多数の民意を反映したと受け止める事は難しい。
長坂氏は確かに市民の負託を得たのであるが、新市長として即刻の契約解除に踏み切る前に、契約解除がもたらす影響を市民と共有した上で新アリーナと豊橋公園の機能更新にテーマを絞った民意の確認を行う必要があるのではなかろうか。住民投票までせずともアンケート調査で民意を把握する事も可能で、予算的にも時間的にも難しいものではない。市民の便益を最大化する事が市長に求められる役割であり、不便益に向かって猛進する事は公約であっても慎重であるべきだ。
初登庁を迎える新市長には、様々な懸案課題等のレクチャーが行われるはずだが、中でも新アリーナ事案は新市長にとって最大の関心事となるだろう。新アリーナを所管する部署の担当職員は、新市長が抱く本件への疑問に正面から答えるとともに、「4つの機会損失と1つの壁」についても誠意を持ってご説明頂き、市民の真意を確認するプロセスの必要性について、新市長のご理解を得るようご努力頂きたいと願う次第である。