Vol.91  リニア問題に係る静岡県知事の言動は正論か  -国土的観点が欠如してはいないか-

中日新聞は、2022.10.16の朝刊「ニュースを問う」欄に「川勝・静岡県知事の真意は…」という記事を載せた。リニア中央新幹線(以下、リニア)の品川~名古屋間で、唯一未着工のまま膠着化した静岡工区を抱える知事の真意に迫る論述だ。断片的な発言からは推し量れない川勝知事の胸の内を読み解いた興味深い記事であった。記事を通して知事の言動の論点整理に挑みたい。

1.静岡県知事の立場  -静岡県民の代表であり、リニア技術の実用化推進論者-

静岡工区が未着工となっているのは、リニアのルート上にある南アルプストンネルの工事により、大井川の水源が毀損され流域の産業や生活に悪影響を及ぼす恐れについて、JR東海と静岡県及び大井川流域市町村との間で合意できていないことによるものだ。大井川流域の人々は、ダム建設による水量減少に悩まされてきた歴史から、社会資本整備によって犠牲になってきたという意識を根強く持っている。こうした地域が固有に持っている意識に対し、JR東海が誠意を持って対応してきたかという懸念を筆者は指摘してきた(vol.7、vol.53御参照)。静岡県知事が工事を認めない姿勢を固持するのは、県民の代表者であるという立場から納得性の高い対策案の提示を求めて来たものと、我々は理解しなければならない。

一方、中日新聞の記事によると、川勝知事は元来、リニア技術は日本が誇るべき技術であるから実用化に期待をかける推進論者だという。これが事実だとすれば、県民を代表して首を縦に振らない言動は、ご自身の信条と矛盾しながらも苦渋の姿勢を貫いているという事になる。

頑なに着工を認めない知事が、内心はリニア推進論者としての信条を持ち続けているとすれば、心理信条に反する態度にも限界があるのではないかと拝察する。であるならば、知事としての落としどころを自ら模索しているに違いない。これを知る事は、合意形成の糸口を掴む上で重要であるから、中日新聞の記者の洞察には強い関心を持ったのである。

2.記事が示唆する静岡県知事の落としどころ  -リニア品川~甲府間の「観光線化」-

静岡県は、2022年7月に建設促進期成同盟会に加盟した。雪解けの兆しかと期待したが、内実は加盟によって沿線他県の様子を視察できることが狙いの一つであったと記事では指摘している。川勝知事は、9月に神奈川県駅(相模原市)の工事現場を視察した後、「駅工事は順調であるが、関東車両基地の用地取得が進んでいない」とし、車両基地の用地取得は神奈川県の役割なので、「リニアが開業できないのは神奈川県に原因がある」という主旨の発言をした。これに対し、神奈川県知事が激怒したのは言うまでもない。

次に、川勝知事は、リニアの総工事費が嵩んでいる(JR東海の公表では、当初の5.5兆円から7兆円余りに増加)事などを鑑み、「リニアのビジネスモデルが崩壊に近い状態になっている」と発言し、「全線開業から部分開業に方針を見直すべきだ」という主張を展開した。記事では、リニアを「品川~甲府間の観光線」として位置付ける事が川勝知事の念頭にあると指摘している。

これらを、整理して繋ぎ合わせると川勝知事の論理はこうなる。『リニアの技術は実用化すべきだが、品川~名古屋間の工費は巨大化しているので、品川~甲府間に整備区間を見直し、主として観光用として利用する。当面は、相模原~甲府間の部分開業を目指せば良い』というのが知事の考える落としどころという事だ。そして、『これを2027年までに実現できない原因は神奈川県による車両基地用地の取得が進んでいないためであり、静岡工区の未着工がリニア実現を阻む原因ではない。甲府~名古屋間(静岡工区を含む)は時間をかけて協議・検討して行けば良い』というシナリオになる。これによれば、リニア技術実用化の推進論者と静岡県民の代表者としての両方の立場が成立することになる訳だ。

但し、このシナリオは「甲府~名古屋間は白紙に」という主張を意味する。そして、リニアの本源的な役割である「東海道新幹線のバイパス路線」という基底を覆す主張でもある。

3.国土の発展というビジョンを放棄  -リニアの実用化は国土の発展と共に考えるべき-

航空機並み速度を誇る超高速鉄道・リニアは、広域交通網として利用することが適しており、大都市間を直結することで大きな役割を果たす。このため、三大都市圏を結ぶ直線的ルートが選定された経緯がある。

記事が伝える川勝知事の落着シナリオでは、「工費が増大してビジネスモデルが成立しない」から方針転換が必要という事になるが、これではビジョンのないプロジェクトになってしまう。つまり、「国土の発展」というビジョンを投げ出し、実験線の延伸程度の実用化でお茶を濁せということになるからだ。国土の発展というビジョンの実現に向けて、リニアの工費が膨らんでいる事が障壁であれば、国が経済的支援を検討せよと言うならば理解できるが、当初目的を放棄することで着地を図る論旨に賛同の輪が広がるとは到底思えない。

適切な例ではないかもしれないが、「ビジョンを放棄して共感を呼ぶか」という意味において、全く別の例を想定してみたい。「大切な人の誕生日に喜んでもらい愛を育む」というビジョンを持っているとしよう。手段として超一級品のトリュフを使い、心のこもった手料理をふるまう計画を立てた。思いやりと時間をかけた努力は、注がれる愛情の深さとして伝わり、パートナーとの絆を深めることに繋がるはずだ。しかし、諸物価が高騰してトリュフの価格が跳ね上がったことに加え、自分の仕事が忙しくなって時間が割けない事態に陥ったとしてみる。そこで、トリュフを諦めてマイタケを買い、クックドゥで調理することにしたら…。感謝はされると思うが、特別感は一切なく、日常と変わらぬ食事を共にしたとき、感動や共感を増幅できるかといえば、そうはならないだろう。

静岡県知事のシナリオは、立ち位置が自己本位であって、自分に降りかかっている困難な状況をクリアする事にのみ関心が注がれていて、日本の国土を発展させるという当初のビジョンを放棄してでも自身に都合の良い結果を作り上げるというものだ。静岡県民の代表としての立場と実用化の推進論者としての立場の両立はできたとしても、国土の発展を望む憂国の士ではないということになる。

記事では、ゴールポストを移動する奇抜なシナリオではなく、建設促進期成同盟会に入った今は「沿線都府県に言葉を尽くして静岡県の抱える現状を理解してもらうのが王道だ」とし、「状況に変化があるのだから課題を出し合い、技術、資金両面から再点検しませんかと訴えると良い」と結んでいる。ごもっともで同感だ。

リニアは、経済活動を伴う大量の流動を圧倒的な時間短縮によって効率化する超高速鉄道だ。時間短縮が桁違いだから、国土のあり方を大転換できる。その最たるものが東京一極集中の是正につながる可能性だ。東京に依存しないと発展できない企業の経営環境を開放し、コストをかけなくても発展できる立地選択を国土上に確立する事を可能とする交通手段であり、もって日本企業の国際競争力を高め、国土の発展に寄与することがリニア整備の国土的ビジョンである。リニアは観光用モノレールと同じように扱うべき代物ではなのだ。

聡明な川勝知事は、おそらくこれくらいの事は分かっておられるのだろう。しかし、自己都合保全の呪縛から脱出できない状況に追い込まれているのかもしれない。ここは、国の指導力や静岡県民の声により知事を呪縛から解き放って頂きたい。中日新聞の記事が、そうした事態に近づく一石となる事を願ってやまない。

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